土佐”電”日記-2

2017/12/19 06:30起床 土佐電の旅二日目の朝である。起床時間が朝早い私に比べて、昼近くまで寝ているのが常である妻を起こさないように身支度を整え部屋を出て朝食を済ませ、ホテルを出たのが07:30頃である。

ホテル近くの菜園場町電停に行き、伊野方面行き電車に乗車する。高知路面電車踏破のスタートである。

高知市電は土佐電交通が経営する市内電車である。土佐電は高知駅からはりまや橋交差点を経て桟橋通五丁目に至る南北の高知駅・桟橋通線と伊野からはりまや橋交差点を経て御免町に到る東西の伊野・後免町線の二路線である。営業距離は桟橋通線が3.2km、伊野線が11.2km、後免線が10.9kmである。

高知駅前でJR土讃線高知駅に、伊野駅前で同じく土讃線伊野駅に、後免町駅にて第三セクター土佐くろしお鉄道後免奈半利線・後免町駅に連絡する。高知駅・桟橋通線と伊野・後免町線のうち鏡川橋・文殊通間が路面電車区間であり、鏡川橋・伊野区間および文殊通・後免町区間は専用軌道または併用軌道区間である。

また土佐電交通は旧土佐電鉄他の三社の経営統合・共同新設分割方式により2014年に設立された企業体であり、高知県と高知市など沿線自治体が出資する第三セクター方式の企業である。

路面電車区間は概ね片側二車線のほぼ直線の広路道路に運行されているが、鏡川橋・伊野区間は併用軌道区間が多く、片側一車線が併用軌道である狭い道路に運行されている。沿道民家の軒先を電車が通過するような場所も多い。それだけに、今は失われてしまった市電と町並みの共存感覚が味わえる。実際に軒先を走り出て軌道敷を電車に向かって来る乗客を待って、発車をしばし遅らせる光景も見た。

さて、菜園場町電停から乗車した茫猿は、一日乗車券を買い求め路面電車特有の揺れと軌道音を楽しみながら、先ずは終着の伊野へ向かうのである。鏡川橋以西は狭い道路での併用軌道区間であるから民家の軒先すれすれを運行し、道路上にマークがあるだけという電停も多い。車が行き交う路上のマークだけの電停に、通学児童が電車待ちする状況などは、交通量が多い大都市では考えられない光景である。

終着伊野駅は2008年に新築された風情ある木造駅舎である《待合所のみ、駅業務施設は無い無人駅》。駅舎の先には折り返し用の複線ポイントと終末ターミナルが設けられているものの、電車の運行は駅舎前での単線折り返しであり、終末ターミナルは道路に接面する商家の駐車場に利用されている。待合室内部には肘木工法の木組みがある。
写真は左から、伊野駅、伊野駅左手のターミナルと折り返し線を駐車場に使う店舗、伊野駅付近の狭い道路の半分を利用する併用軌道である。《写真はクリックすれば拡大する》

  

伊野駅待合室の寺社などに見られる肘木工法、鏡川橋を渡る両側を道路に挟まれた専用軌道、単線運転であるから途中の離合する電停でタブレット《通標》交換を行う運転士。

  

茫猿は伊野駅を折り返して、はりまや橋へと向かうのである。途中、県庁前電停にて下車し高知城をバックにして土佐電を撮影する。高知城を見通す交差点で構図を決めて電車の到来を待つのであるが、これが結構難しい。信号交差点であるから市電の着到活写は簡単だけれど、行き交う自動車が邪魔をする。待つこと半時間、撮影枚数数十枚の結果でこの程度である。

高知で落ち合う予定の次男とホテルに置き去りにしてきたパートナーとの昼食予定時間が迫っていたから、高知城の見学は翌日にしたのである。しかし、足弱な家内に気を遣って結局のところお城見学は割愛してしまった。また、2005年まで岐阜市電に運行されていた590型電車2両が運行されており、それとおぼしき車両を見かけたが、写真は撮りそこねた。

使用済み土佐電一日乗車券である。日付は2017年12月19日  電車たち写真の左列上から2両目が名鉄岐阜市内電車の590型車両である。

  

 

 

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