土佐”電”日記-4

2017/12/20 土佐電踏破の旅も三日目になる。例によって、早朝に起床した茫猿は独り菜園場町電停に向かい、この日は後免線を東へ向かうのである。今日は後免線10.9kmを踏破し、終点ごめん町駅でくろしお鉄道後免奈半利線に乗り継いで安芸へ向かうのである。

土佐電日記-2に記したとおり、土佐電東西線である伊野・後免線は鏡川橋・文殊通区間が路面電車区間である。そこで東の後免方面へ向かう電車のうち半数近くの本数は文殊通で折り返して伊野方面へ向かうのである。菜園場町を出た茫猿が乗車する車両が文殊通に差し掛かると、電停では折り返して伊野へ向かう車両が折り返し渡り線を通過するところだった。この日の高知の日の出時刻は07:06、ちょうど東空は日の出に映えている。《撮影時刻は2017/12/20  07:05:35である。》

左・終着の後免町駅(くろしお鉄道の高架フォームより撮影)、中・”やなせたかし”のありがとう駅石碑とアンパンマン、右・ごめん生姜地蔵である。やなせたかしは幼少期を後免野田小学校、旧制高知城東中学校におくる。

    

土佐電後免町駅の駅前広場を挟んで向かい側が「くろしお鉄道・後免奈半利線の後免町駅である。ピントは随分と甘いがフォーム端のカーブミラーに写る自影を撮ってみる。後方に写るのは乗車する奈半利駅行き車両である。

沿線の黒潮洗う海岸線、沿岸にはドロメ漁《じゃこ漁》と思われる二艘づつ並んで網を引く漁船が多く出漁していた。海岸線は太平洋に臨み明媚な景色であるが、いささか単調ともいえる。

終着の奈半利駅まで行くと同伴者を待たせ過ぎてしまうので折り返した安芸駅(左)、安芸市出身の作曲家弘田龍太郎を記念する「靴が鳴る像」(中)、途中で離合した阪神タイガースカラーでラッピングされた車両(右)

    

安芸駅から、くろしお鉄道を折り返し後免駅からはJR四国土讃線に乗り入れて高知駅へ戻るのである。(左)高知駅前、(中)高知駅前電停、画面右手には高知の三志士、中岡慎太郎、坂本龍馬、武市半平太の”発泡スチロール像”が見える。(右)桟橋通線終着の桟橋通五丁目電停。
    

桟橋通五丁目の一つ手前の電停は桟橋車庫前である。歩いて車庫に至り案内を請うと、ヤードの分岐ポイント手前までであれば、自由に撮影してよいと言われる。停車する車両の中央に一部だけ顔を覗かせているのが、開業翌年の明治38年に製造された7型(オリジナル)を昭和59年、当時の姿に復元したレプリカ・維新號である。現在はイベントや貸切などに運行されている。

これで、土佐電探訪の主目的は終わりである。その後は妻と次男と落ち合い、高知自動車道および高松自動車道を経由して高松港に向かい、高速船で豊港にゆく。島にはコンビニも適当な商店も無いことから、高松で飲み物やお茶請け菓子を買い求めてバックパックに入れて乗船するのである。その夜は島の民宿泊まりである。

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