土佐”電”日記-結び

いつの頃からかと「鄙からの発信」を検索してみれば、不動産鑑定士の現役生活を終える頃だろうか、全国の市電(市営電車という意味ではなく市内電車という意味であり、正しくは路面電車というべきであろう)全線を踏破したいと考えるようになった。

廃止間際の名鉄岐阜市内線に乗車して記事にしたのは2005/03/16のことである。その前年には福井鉄道市内線、2005年秋には松山伊予鉄道市内線、2008年には富山地鉄市内線、高岡市万葉線、2009年は都電荒川線と豊橋鉄道市内線に乗っている。現役引退後の2011年秋には熊本市電、翌2012年は岡山市電、広島市電、大津京阪京津線、大阪堺阪堺線、京都嵐山線そして札幌、函館各市の路面電車に乗っている。

昨年2016/12には青春18切符を利用して、長崎と鹿児島の市電に乗車し全国路面電車踏破は高知市土佐電鉄市内線を残すだけとなっていたのである。そしてこの度めでたく満願上手となり、終活またひとつ終えるという心境である。これらの経緯は「鄙からの発信」HP:「路面電車」に掲載している。

ジオラマ鉄道ファンの一人としての茫猿は、我なりに一応の到達点を得たと思っている。4〜5作目かのNゲージHOゲージ混在のジオラマも、今は解体して押入れに保管している。

乗り鉄として、JR全線踏破なども今や見果てぬ夢となってしまった。それでも振り返ってみれば、北海道では函館本線・宗谷本線・根室本線、東北では羽越本線・磐越線・常磐線、関東では両毛線・中央線など、中部では飯田線・北陸線・紀勢線など、関西では山陽線・関西線など、中国四国では山陰線・山陽線・伯備線・土讃線など、九州沖縄では鹿児島本線・長崎線・肥薩線・沖縄ゆいレールなど実に多くの線路に乗っている。新幹線だって北海道新幹線以外は全て乗っているのである。

さらに全国四端駅のうち、最北端の稚内駅、最東端の東根室駅、最南端の西大山駅には到達しているから、残すは最西端の松浦鉄道たびら平戸口駅到達である。この実現は不可能なことではない。写真は左から、最北端稚内駅《着到 2012/08/02》、最東端根室駅《着到 2012/08/05》、最南端西大山駅《着到 2016/12/14》である。
        

年が明けたらLCCを使って中部空港から長崎へ飛び、松浦線に乗車し・平戸観光や伊万里、唐津などを巡る旅も悪くないと考えている。高知から高松へ、島一泊から岡山を経ての帰り道では達成感よりも目標を失ってしまった侘しさの方が先にたち、観光も食事もうわの空だった。だから、あまり早くに平戸駅頭に立つのも考えものかもしれないと思っている。それにまだまだ乗ってみたい地方鉄道路線も、会津鉄道線、三陸線など色々とあるのだから、線路はまだまだ何処までも続いているのである。

地元の線路だって、樽見鉄道も養老鉄道もまだまだ掘り下げが出来ていない。地元ならではの四季折々の風景を撮り歩いてみれば、新しいものが見えてくるであろう。明知鉄道、長良川鉄道、近江鉄道、三岐鉄道などなど身近にだって数々の線路が待っている。

わずか三泊四日の旅でも帰り着けば、宅配便の不在通知以外に鄙里には何事も無く、落ち葉を踏みながらすっかり冬景色となった雑木林を歩けば何やらホッとする。慣れ親しんだ味噌汁の味や、我が家の寝床に落ち着くのも、やはり我が身の加齢を思わされるのである。

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