寒の入りに蠟梅

2018年も一週間が過ぎ、今は寒中である。今年の大寒は1月20日頃、寒に入り身体が寒さに慣れてくれば立春も遠くはない。何よりも冬至(2017/12/22)を二十日も過ぎれば、陽射しが朝毎に長く暖かくなっているのを感じる。季節は間断なく巡りゆく。

昨日七日は鄙里の年中行事である左義長が行われた。地区の人々が早朝から集まり、青竹を切り出して竹のヤグラを組み上げ、お神酒を供えて火をつけるのである。注連飾りや古いお札を焚きあげて一年の無事を祈る鄙の里行事である。残り火で餅を焼き各家に持ち帰るのも例年通りのことである。

庭先では蠟梅が咲き始めている。福寿草の芽も膨らみを増している。年越し後に最初に咲くロウバイを見れば春遠からじと思い、巡る季節の遅滞なきを感じさせられる。

北朝鮮の核実験とミサイル発射問題は、新しい局面を迎えそうである。平昌冬季五輪開催に合わせて、北朝鮮の五輪参加、米韓軍事演習の中止がセットにしての南北会談が行われるようである。韓国・中国・ロシア主導の局面打開が図られるかもしれない動きである。

この韓中露主導の動きに対して、米国は無視、日本政府は打つ手なしという状況のようである。朝鮮半島有事は日本にとって《致命的ともいえよう》重大な影響を与える出来事であるにも関わらず、米国追随《トランプ大統領追随》から逃れられない安倍総理であったが、米国が南北協議を歓迎とまではゆかなくとも静観する態度に終始したとき、日本政府はどのような姿勢が選択できるのであろうか。《かつて、国際情勢は複雑怪奇と言い放った総理がいたように記憶する。》

星野仙一氏が亡くなった。70歳の死だった。フランス・ギャルが亡くなった。彼女も70歳の死だった。ジャイアンツの10連覇を阻止したドラゴンズのエース星野投手、「夢見るシャンソン人形」で一世を風靡したフランス・ギャル、ともに今は昔の懐かしい記憶である。《茫猿からすれば》彼、彼女のまだ若い死が悼まれる。

「小学校の同窓生がもう誰もいなくなった。」と呟いていた、90歳を越えた晩年の父のことを思い出す。サラリと呟いていた父の心情はいかばかりだったのだろうかと、ふと思う。七十の心情は七十にならねば、八十の心情は八十に九十の心情は九十にならねば判らないと、正月の二日に叔母《1927/01/05生まれ》が話していたことを思い出す。

《2018/01/10追記》
「賀状について」 松の内を過ぎてから届く賀状が此の春は多かったように思う。もう賀状交換を止めようと思っていたが、私からの賀状が届いたことで返信をと考えた方が少なからずいたということであろう。2019年賀状については、前年踏襲ではなく差し出す賀状を絞り込むか、それとも賀状そのものを止めてしまうか、考えるべき時期になったということなのであろう。

「歳を経るということ」 雨上がりの冬晴れの雑木林を歩くとき、様々な亡き人々が偲ばれる。父母のこと、娘や弟のこと、博一や弘のこと、彼らの思い出が記憶のおり(澱)のなかに沈みゆき薄らいでいるのを否応無く感じさせられる。歳を経るとはそういうことでもあるのだと思わさせられる。

何もかもが、もうどうでもよい。そう思いつつも腹が減れば飯を食い喉が渇けば何かを飲む、如何ともし難い此の身である。我石仏にあらず如何ともし難し。

つまんないなぁ 来年のことなど判りはしないと思えど、明日のこと来月のことそして翌季のことなどをついつい考える私がここにいる。それもつまんないなぁ。

「鄙からの発信」を「老兵は死なず」で検索してアーカイブを拾い読みする。十年も前の記事に、二年前の記事に、まだ若かったのだなと思い知らされる。生き死には意のままにならないけれど、「消え去る」ことは我が意に随うことであると、これまた思い知らされる。

 

 

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