(02/12) 正月には海外に出かけていて帰省しなかった長男と孫娘が、連休を利用する三泊四日の滞在を終えて帰京して行った。昨年末に二月の連休には帰省するとは聞かされてはいたが、直前まで帰るとも帰らないとも知らせてこなかったから、ヤキモキさせられた孫の訪問だった。何を用意しようか、何処へ連れて行こうかと爺と婆が話し始めたのが正月過ぎのこと。期待がはずれるとガッカリするから当てにしないでいようとも話していた半月ほどだった。
前日に新幹線の到着時間を知らせてきてから、岐阜の魚豊さんへ買い物にゆき「ブリ、セル牡蠣、アナゴ、孫の好物と聞くタコ」などを買い求めて待っていた。滞在中には焚き火で焼き芋、畑で大根抜き、蓮かめの氷割り、大榑川の渡り鳥観察、お千代保稲荷お参り、イオンモールでの誕生日兼お年玉の買い物などで過ごした。四月から幼稚園年長組に昇級する孫娘は上機嫌で帰京していった。
昨夜からもとの閑かな鄙里に戻った我が家は、老夫婦二人だけの侘び暮らしである。「来て嬉し、帰って嬉し」とは言い古された言葉であるが、孫と長男の応待に草臥れた家人は、長男にプレゼントされたMac Airをいじるのもソコソコに寝つき、今朝はまだ起きてくる気配もない。
こちらは老いてゆくし孫は年毎に忙しくなってゆくから、会瀬は間遠になってゆく。生前の両親と孫息子たちの付き合いを思い起こしてみても、それが慣いというものであろう。何よりも非日常のできごとに立ち騒いだ心の波が静まるまで、しばらくの時間を要するようになった。だから、そう度々には「帰らんちゃよか」なのである。
【閑話休題】
昨秋、次男に誘われて永平寺を訪ねた。経緯《いきさつ》は”加賀秋日和( 2017年9月6日 )に記す通りである。永平寺は四十代から六十代にかけて数度は訪れていると記憶するが、参観券を求めさらに相応の時間をかけて寺内《山内》を全て巡ったのは初めてであった。《1749年に再建された永平寺最古の建物である山門》
仏殿の前で次男と話し込む家人をよそに、中雀門、山門の屋根を見下ろし、山門の向こうに続く山並みを眺めながら、何年も前にこの寺で十年もの修行生活を送った南直哉師のことを考えていた。《南直哉師と宗教学者島田裕己氏の対談その2、その3》
南直哉師は最近のブログ片々問答でこう述べている。
「業と輪廻の違いは?」
「現実とお伽噺の違いだ」
「悟りと真理の違いは?」
「経験で錯覚するか、理屈で錯覚するかの違いだ」
【さらに閑話休題】
昨秋の土佐電探訪の旅で次男が住まう瀬戸内の島を訪れ、最近の彼の暮らしぶりや目指している仕事の様子などを垣間見た。島へ移り住んでから早いものですでに十二年が過ぎるのである。オリーブ栽培、耕作放棄水田の開墾稲作、苺ハウス栽培などの紆余曲折を経て、今はツアーガイドの立ち上げに懸命の努力を重ねているようである。
不安定な暮らしぶりに変わりはないけれど、ようやくに終生の目標とも云えるものに出会ったようである。《美術館前の、海へ向かって降る坂道》
大成功など望まぬが、安定した人並みの暮らしを手に入れ、日々を楽しく過ごしてほしいと願う親心である。今や何ほどの手助けもできない老親となってしまったけれど、只々健康で前向きな日々をと願うのみである。だから”帰らんちゃよか”と思っている。
【そして閑話休題】
島津亜矢唄う、
”帰らんちゃよか”が、沁みてくる。
そらぁ ときどきゃ 俺たちも
淋しか夜ばすごすこつも あるばってん
二人きりの 暮らしも長うなって
これがあたりまえのごつ 思うよ~
心配せんでよか心配せんでよか
父ちゃんたちゃ、
二人でなんとか暮してゆけるけん
帰らんちゃよか 帰らんちゃよか
今度みかんば、いっぱい送るけん
心配せんでよか 心配せんでよか
親のために お前の生き方かえんでよか
帰らんちゃよか 帰らんちゃよか
どうせおれたちゃ 先に逝くとやけん
おまえの思うたとおりに 生きたらよか
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