気仙沼に春は未だしでしょうね。鄙里は椿咲き、山茱萸も、満作も咲きました。今朝は菜花に霜が降りてます。寒緋桜は開花が増えました。梅も未だ々々咲いてます。
被災者の思いとかけ離れたところでダンプカーが走り回り、市民の思いを余所にして国税庁長官が逃げ去り、蚊帳の外でアタフタする某国総理を他所にして民族の対話は進みつつある。
「 三月十日も 十一日も 鳥帰る (金子兜太)」
クロガモの姿もまばらになり、夏柑にヒヨドリが来るのも少なくなった。
日本が内向きに《足元の火の粉を消し損ねているうちに》いるうちに世界は巡ってゆくと云う方もいるが、そんな国情だから世界が見え無いのだし、相手側の視点から見直してみると云う余裕も多様性も無いのだと考える。
そんな霜おく朝にも、花は咲き、春は一歩ずつこくなってゆく。椿が咲いた。
花々を眺めれば、植え育てた人を想い、ともに愛でた人が偲ばれる。春は明るく華やかだからこそ、花陰に面影が浮かんでくる。
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