鄙桜の幻夢2018

2018年の鄙桜(山桜)の開花から葉桜に到るまでのアーカイブスである。弥生始めの寒い朝にまだ硬いつぼみを眺めながら、今年も来たるであろう桜の季節を待っていた。それからつぼみ膨らむ頃《2018/03/15》より、葉桜まで《2018/04/05》ほぼ三旬の記録である。

いささか鄙桜に淫していると思わないでもない。それでも「この桜 こぞの(去年の)桜も この桜」と云いつつも桜は年毎に育っているので、十年後、二十年後が楽しみなのでる。二十年どころか五年後すら確かなものは何もないけれど、百年もすればどんな桜になっているだろうかと夢みるのである。孫娘が自らの孫に「この桜は私のお祖父さんが丹精していた」と語って聞かせることもあるだろうかと、真昼の桜の下に幻を見る。

2018/03/15 つぼみ膨らむ頃、霜おく朝もあるまだ寒い頃。(最低気温8.0度)

2018/03/26 開花まじか(最低気温6.3度)

2018/03/27 開花《例年より一週間から十日早い》(最低気温7.8度)

2018/03/29 (最低気温10.6度)はや五分咲きくらいか、左隣は満開近い大島桜。 

2018/03/31 (最低気温6.1度)朝陽に匂うほぼ満開の鄙桜

巡り来たる春ごとに、車椅子の上から散り初める花を見上げていた最晩年の母を思い出します。手を挙げて訪ね来た亡き友の笑顔を思い出します。懐かしき人々が花のもとに集い来たる心地するのです。そしていつの日にか、孫とその孫が花を見上げて語らってくれるなら嬉しいことだと思えます。

2018/03/31  06:30  この時期の花と若葉のグラデーションがとても好きである。すでに花芯は桜色に色づき始めている。四日前の花芯とは異なる花のようである。
真昼の桜の下でもの思いにひたるのは、もの憂くもあり、もの狂わしくもある。
※坂口安吾 桜の森の満開の下 より
近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足だそく)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。

※芥川龍之介 或る阿呆の一生 より
隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝(ゆううつ)だつた。が、彼はその桜に、江戸以来の向島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。

※梶井基次郎 桜の樹の下には より
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

2018/03/31 15:27  窓の外、窓一杯の鄙桜

2018/03/31 18:30 春おぼろ 花の向こうに 月のぼる

2018/04/01 (最低気温9.2度)今宵は朧月夜、今宵ひと夜のあだ桜。
咲き初めの頃は、人恋しくも懐かしい鄙桜だが、満開になれば圧倒されるほどの花の力強さが寄せてくる。鄙桜のライトアップは2011年、前年に亡くなった両親の鎮魂を願い、そして前3月の11日に起きた東日本大震災犠牲者の鎮魂を願って始めたものである。その願いは今も変わらない。

2018/04/02 (最低気温12.7度)
今日も晴れが続き畑は乾燥気味、散り初めの鄙桜は桜色を増している。
※ ヤブ鶯 一声ごとに 花散らす (茫猿)

今朝の大島桜、山桜に比べて桜色が濃い。

ミツバツツジも満開である。背後は白さを増して散りゆく枝垂れ桜。

2018/04/02  21:23   今宵の月は十六夜《画面左端に見える》。

2018/04/03 (最低気温13.1度) もう葉桜になった鄙桜を居室の窓から。

色褪せて散る花が多いなか、散り際に色づく鄙桜、もう大島桜と見分けがつかない。

2018/04/04 (最低気温10.8度)花に嵐の例に習わず、雨も無し晴れ続き
下の方の枝はすっかり葉桜となるが、上枝はまだ見られる。ライトアップは昨夜で終わる。画面左端には遅咲きの山桜が見える。

散り際の鄙桜、花びらの葉脈の赤さが際立つ。御衣黄桜が開いた。

八重桜も開いた。
川には花筏、椿の下は花筵

2018/04/05 (最低気温9.3度)昨夜の風で、ほぼ葉桜へと姿を変えた鄙桜。
これをもってアーカイブスも終わる。いよいよ陽春の到来である。

つぼみ膨らむ頃から数えて十日間ほどのショーである。これからは施肥や防除などの養生をしながら、夏を越し秋冬を過ごして来春の桜を待つのである。来春は満七十五歳になる身にこの春と同じ春が訪れるとは限らないと考えつつも、同じ春を迎えたいものだと思っている今朝の茫猿である。さて、花のお礼に施肥でもするか。

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