鄙里は緑なりき-1

近頃は友の病気見舞いを記事にすることも多く、いつかは我が身にもと云うよりも、我が身に訪れる時が日ごと夜ごとに近づきつつある予感がしていたのである。2018/04/12 大阪造幣局・桜の通り抜けに行った折のこと、不動産鑑定士にあるまじき方向音痴を露呈し道に迷ってしまった。現役を離れて八年、今自分が何処にいるのかさえ判らなくなる始末で、同行した家人からは認知症発症を疑われる有様だった。今にして思えば、これもG.W.を病床に過ごす予兆の一つだったのである。

順を追って経過を記してみよう。
04/21(土) 05:00起床 起き抜けにメールやらSNSをチェックするのだが、右手のキータッチに違和感を感じる。なにやら空を打っている感じがする。常のごとくに朝食を済ませ、畑を見回ったのちに、隣り町今尾町のイケダ園芸店へ苗物を買いにゆく。

タイガー瓜、南京瓜などの苗を買うのだが、支払いをするときに何やら呂律の回らない感じがするのである。それでも支払いを済ませ家に戻るのだが、苗を植え付ける気などしないまま一休みをする。かかりつけの西脇医院へ行こうかと考えたが、土曜日は代診しかも午後から休診であることに気づき、休み明けまで様子を見ることにする。

茶の間でコーヒーを飲んでいたら、家人が言語異常に気づき、とにかく病院へゆこう救急車を呼ぼうと騒ぐのだが、救急車は大ごとであり気恥しい気もするのでタクシーを呼んで大垣市民病院へ向かう。病院への到着時刻は午後四時くらいだったろうか。そのまま応急検査を受け点滴を施されて入院する。

この頃の症状としては、アア、ウウ程度しか会話ができない、手足の麻痺は自覚しないが、ストローが無いと水をうまく飲めない。

04/22(日)MRI検査を受ける。5階の病室からストレッチャーに乗せられ、エレベーターを経由し地下の通路をガタゴトと移動する。MRIはガーガー、ピーピーと騒音がとてもうるさい。食欲が無いし重湯を食べる(すする)気もしない。ヨーグルトと果物(一切れ)を口に入れる。MRI検査の結果として、脳内数カ所の血管閉塞があり、「脳梗塞」の診断を受けたと記憶する。

廣光くん夫婦と昌洋と凛が見舞いに来てくれる。凛たちは静岡の登呂遺跡へ遊びに来ていて、悦子の知らせを受けてやって来て鄙里に一泊する。見舞いなど初めての体験である凛はいささか戸惑っていた。それでも幼児なりに「早く良くなってね。」と見舞ってくれる。

04/24(火)朝七時、一階の販売コーナーで新聞を買ってくる。昼食から重湯が粥飯に変わり少しは食べれるようになったが、やはり不味い。リハビリ療法が始まる。作業療法士の付き添いで5階の病棟廊下を二周する。点滴ポールを押しながらである。言語療法士の扱いはほとんど認知症である。「90から順に7を引いてください。」「83、76、69、62、55、・・・・・」、「はい、良くできました。」

ベッドのテーブルに、鉛筆、爪切り、ハサミ、メモ用紙、消しゴムなどを並べて記憶させる。品物を片付けてから、一個づつ記憶を呼び戻す。 etc……etc……
年齢が三分の一にもならない若い娘の「ハイ、ガンバッテネ」などと指導を受けていると、何やら情け無くなってくる。《本日はここまで》

 

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