昭和17年から昭和20年までの、最後の戦前生まれ世代は今や七十代半ばである。それ以前の戦争を知る世代が少なくなってきた今は、最後の戦争世代とも云える。現実に戦争は何も知らない世代だけれど、父親や叔父や時には兄が出征しており、母や姉が銃後で苦労した経験を生々しく伝えられた世代である。
平成生まれは、カー・カラーテレビ・クーラーの3Cが持て囃された時代を知らないし、電話が既に家に存在したというよりも物心ついた時には携帯電話に囲まれていた。ラジオを囲んで一家団欒が存在したことなど想像もできないだろう。七十代半ば世代は、大人用の自転車が家にやって来て三角乗りを記憶している。《大人用自転車の三角フレームの間に足を入れて、自転車を漕ぐのである。もちろんサドルは使えない。》長じては、銀座では一万円札でタクシーを停めたというバブル期も大なり小なり知っている。
多くは現役をリタイアし、若くても喜寿近くなっている最後の戦前生まれは、直接に戦争も戦闘も知らないが、戦中派を両親や親族に持ち、彼らから戦時の体験を肉声で聞いている最後の世代である。戦後の荒廃も戦没者遺族の悲嘆も見聞きしている世代である。
戦争について何も語ることが無かった我が父だが、亡くなる前に孫たちと話しているときに「戦争は嫌なものだ」とボソリと言った。父は二度召集されているが、二度目は内地に止まっていたから、「嫌なもの」の記憶の元は支那事変の頃の最初の応召で、中国大陸での経験が根っこにあったのだろうと思い出す。《朧げな記憶では石家荘付近と聞いている。》
まだ両親が健在だった頃、(母の末妹である)妻の一周忌法要をつとめた義理の叔父が高齢なために法要に出られなかった義姉夫婦(茫猿の父母)への暑中見舞いをかねて訪ねて来たことがある。久し振りの懐かしい顔ぶれに会って日頃は口数の少ない父も、耳が遠くなって会話がつながらない母も賑やかに談笑していた時のことである。
当時、母の話は戦争中つまり自分が二十代のときの苦労話が多い。その時も話が1945/06の岐阜市空襲や各務原市空襲の話になった時のことである。母と叔父のつながらない会話を聞いていた父が突然に割り込んで、こんな風に言いました。(1945/6当時の父は二度目の応召で内地ですが軍隊にいました。)
「私は岐阜空襲の話はおぼろげに聞いてはいた。聞いてはいたが何とも思わなかった、いいや何も感じなかった。当時は米軍の上陸が間近で、米軍が上陸してくれば死ぬと思っていた。いつとは判らないが近いうちに、米軍と戦って死ぬ、そう思っていた。それ以外は何も考えていなかった。そんなものなんだ。」
当時(1945/06)、父は32歳、茫猿1歳、生まれて三ヶ月の次男の顔はまだ知らない父でした。生前に母が語るところによれば、まだ明けやらぬ早朝に二度目の赤紙が届いた日の午後、父は自転車の荷台にくくりつけた籠に乳児の私を入れて半日何処かへ行っていたそうです。何処へ行ってたのか、乳児とどんな過ごし方をしてたのか、父は何も言いません。茫猿も聞いたことはありません。そうでなくとも寡黙な父であり、父子の会話は少ないし、まして中国出征など戦争中のことは語りたがりません。
だから唐突に戦争末期の心境を聞いて驚きました。自分の妻子が暮らす岐阜近郊のことを考える気力も萎えるほどに虚無的になっていたのか、虚ろだったのか、それ以上は何も語らなかったから判りません。だいたいが空気の読めない会話をする父だから、これ以上を聞くこともありませんでした。
一歳になったばかりの乳児の私と束の間の別れをした後、出征の祝宴では泥酔し縁戚に担がれて入営地へ向かったそうです。その60余年前の父のことを母は、「乳飲み子のお前を置いて、家を出るに出られなかったんだろう。」と述懐します。
いまや父も母も亡く、何を聞くこともできない。それでもそういう両親から聞いている戦争体験や戦中戦後の様々な感想や語り伝えというものを、伝えておく義務がある世代だと思っている。自らの体験ではないが体験した身近な世代から伝え聞く世代として語り継ぐべき存在なのだと思っている。
父が丹精していた蘭が数鉢残っている。父亡き後に株分けをしたりしたが、花を咲かせることもなく、かろうじて長らえていた。そのうちの一鉢が八年目にして花を付けた。たとえ一鉢でも花を咲かせることができて、父の霊前に誇らしく伝えることができようというものである。「父さん、あなたの蘭が咲きましたよ。咲かせましたよ。」
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