寂として声なし

繰り返し、繰り返し、悪質タックルの画像をタレ流すテレビ。見なけりゃいいのだが、ニュース番組のたびに各局ともに垂れ流す。腰椎に脊椎に脳髄に故障が起きたらと思えば、心臓に悪い画像だし、監督に嵌められて引き起こしてしまった日大アメフト部DL選手のことを思えば、もういい加減にしてやれよと思う。胸糞悪いし、気持ち悪い。こんな画像よりも、もっと流すべき画像があるだろうにと考えている。

2018.05.29 関東学生アメリカンフットボール連盟の規律委員会は、日大アメフト部DL選手が悪質タックルに至った経緯とチーム体質を説明した。日大の常務理事でもある内田前監督は、絶対的存在で「白であっても内田監督が黒と言えば黒。理不尽な命令でもハイと実行するのがフェニックス」というチーム体質だったと説明する。有望選手をレギュラーメンバーから外して“干すこと”で精神的な圧力をかける指導がまかり通っており、運悪く干される選手をチーム内で“はまる”と呼称していたと評する。

日大アメフトの悪質タックルは単に一大学の一運動部の問題ではなかろうと考えている。程度の差こそあれ、白を黒と言われれば黒と答える従順な日本人を作ろうとしてきた体育会運動部、そしてそんな体育会系学生を重宝してきた日本企業社会が背後に存在する。

体育会運動部は、隅々まで「嵌める嵌められる」上意下達のみが重視される社会を作ろうとしてきた。少なからぬ体育会運動部では、パワハラ、躾という名の暴力がまかり通る風潮が蔓延する。上下秩序が重視される”体育”が幅をきかせ、互助協助が尊重されるスポーツは影が薄かった。柔道、剣道、相撲道などと道を云々したがる風潮とスポーツは似て非なるものであろう。何よりも強制されて極める道などあろうはずもない。

水に落ちた犬を叩くような、弱い者叩きを続けるような、マスコミ・リンチのような画像処理も糾弾されなければならないと考えるが、それはさて置き、もっと流すべきであろうと考える「国会質疑画像」とはこちらである。

開会日 : 2018年5月30日 (水)
会議名 : 国家基本政策委員会合同審査会(党首討論)
討論者: 枝野幸男(立憲民主党・市民クラブ)

森友学園問題について、総理大臣は「(妻はやっぱり関与してたけど)贈収賄には関与していないから問題ない」と言う。とても悪質なスリカエ答弁であるが、一国の総理が言抜けに汲々とする国会答弁など聞いたことがない。

麻生財務大臣は「森友問題・財務省決済文書は改竄してたけど、悪い改竄じゃないから問題ない」と言う。「答弁に合わせて書き換えたということが全体の流れ」であると言うけれど、答弁に合わせて書き換えると言うことは悪事だと言う認識が欠落している。

党首討論で答弁する総理の背後に控える政府関係者は皆神妙な顔つきで聞いているが、枝野氏の質問のあいだ、麻生財務相のみ一人ニヤニヤ笑っている。何とも人を小馬鹿にした陪席風景だ。総理は総理で、直接関係のない話を延々と話し、スリカエ答弁をするだけでなく質疑時間を一方的に食い潰している。とても不誠実な姿である。

総理の質疑に応じる態度は不誠実極まりない。総理の答弁を総括すれば、1.答弁に際して長い前置き、2.質問へのオーム返し、3.野次に延々と応じる、4.質問の繰返し時に無視、5.露骨な時間稼ぎばかりの、中身のない答弁に終始する。いっそのこと、質疑制限時間は質問者の持ち時間に限定し、答弁者(与党派すなわち多数派)は時間無制限とすればよかろう。

五月の後半は日大アメフト部問題に終始したけれど、日大アメフト部・悪質タックル問題の本質とは、大学法人の人事や予算など執行権力を握った常務理事兼アメフト部監督へ、コーチ陣が職員が次いで選手や父母会が「監督の意向を忖度」することにより、白を黒という理不尽な要求をまかり通らせてきたことにある。

一昨年以来の森友学園問題の本質は安部総理夫人が名誉校長を務めているという事実に、加計学園問題の本質は加計理事長と安部総理が腹心の友であるという事実に、首相官邸や内閣府がそして財務省や国交相や文科省が「忖度」に務めたことにある。

同時に安部総理も総理夫人も一国の総理夫妻であることに意を用いることなく、瓜田に履を納れ李下に冠を正そうとしたのである。別の表現をすれば、忖度させるべく振る舞ったのである。

日大アメフト部に属する百余名の部員は「監督・コーチに盲目的に従ってきた自らの不甲斐なさを認め、今後は対戦相手を尊敬しスポーツマンシップを実践してゆきたい」と、2018.05.29声明文を公表した。

ひるがえってみて、衆議院議員283名、参議院議員122名、合計405名を擁する自由民主党国会議員のなかには、このような安部一強支配体制の不条理に異議を唱える方は居ないのであろうか。居ないとすれば、自民党は日大アメフト部にも比較できない存在なのである。そして、そのような「寂(せき)として声もなき強大ながら盲従する与党」を生み出してしまった日本社会は「もうお終いだ」と嘆くのである。

《盲従でしたと声あげた日大アメフト部、忖度を重ねて寂として声無き自民党》
《この記事 No.2992 》

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