沙羅双樹の花の色

沙羅双樹の花の色は白である。こう書き出して、時分々々の花の色を思った。一月は蠟梅の黄色、二月は梅の紅、水仙の白、三月は桜、四月はツツジ、五月はサツキ、そして六月は沙羅双樹(夏椿)というわけである。

七月以降も思いつくままに書き出してみれば。七月は睡蓮、八月はムクゲ、九月はコスモス、《この時期は他にも夾竹桃、百日紅、ダリア、忘れてならないのが茄子にトマトの花》、十月になればツワブキ、十一月は菊、十二月は山茶花であろう。

沙羅双樹といい半夏生といい、梅雨時には白い花が似合う。雨曇りの仄暗さのなかに際立つ白さが鮮やかなのだ。そういえば大山蓮華の花もクチナシの花も白だ。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」 あしたに咲き夕べには散る儚さを”盛者必衰の理”と云うのだそうな。

明日あると思う心があだになると判ってはいるが、明日を思い明日を楽しみにして畑を耕し庭を整え雑木林を明るくしている。一日一日が愛おしく(いとおしく)、巡りきたる時分々々のすべてが愛おしい。

年毎にいとおしさ(愛おしさ)がつのるように思えるのは、病を得たせいか歳を重ねたせいか、今がついの(終の)夏ツバキかもと思えるせいなのか。亡き人々がまたひとつ身近に思えるせいなのか。
去年(こぞ)三尾  この秋二尾の 秋刀魚焼く
《茫猿 2010.8.15 母が亡くなった年の秋、父と二人の秋刀魚を焼いたが、その父も年の暮れには母を追うようにして亡くなった。》

梅雨のあい間を縫ってジャガイモを掘り始めている。メイクイーンとダンシャクを掘り終えたがアンデスはまだ残してある。東手に続いて、畑の西側の江川に向けて埋設してある排水管が詰まってしまったので掘り上げて埋設し直すべく、少しずつ作業を続けている。東手は土管の継ぎ目から桜の根が入り込んで詰まったが、西手は半世紀も前に埋設した鋼管が腐食して崩落した結果、詰まったようである。

東手と違って石ころが多く混じっているから、とても掘り難くて進まない。ノンビリと掘り進めようと思っているが、明日のことなど分からない身で何をしてるのさと茫猿が苦笑いしている。昨年亡くなったkohzohさんの如く溝掘の脇で倒れていたということだけは避けたいから無理は禁物である。

《この項2018.06.24追記》
西側江川向けの腐食あるいは破損した排水管を掘り上げて、塩ビ管を埋設し終えた。東側排水管はL5m、H1mであったが、こちらはL7m、H1.3m、しかも礫が多く混じっている土手土だった。東側は延三日ほどで作業を終えたが、西側は梅雨の晴れ間を縫いながらではあったものの二週間近く費やした。土砂埋め戻しは降雨時の按配などを確かめた上でのことである。

《この項2018.06.28追記》
昨夜の雨が少し残る重い曇り空の下、湿気は高いが日差しは緩やかだから、残っていた埋め戻しを一気に終わらせた。梅雨の間に一度は勢いよく排水される様子を確めてみたいものである。

【閑話休題】話しは変わって
カンヌ国際映画祭にて『万引き家族』で最高賞のパルムドールを受賞した是枝裕和監督については、ニュース報道以上は何も知らなかった。ただ『万引き家族』について、安部総理が受賞に祝意を表さなかったこと、タイトルが誤った日本イメージを発信するなどというネット批判を読んではいた。だから06/08に公開されたら、なるべく早く観に行こうと考えていた。《全ては観てから考えようということ》

今朝、MHKラジオ”スッピン”で高橋源一郎氏と是枝裕和監督の対談を聞いて、彼のKORE-EDA.comを知り、「 invisible という言葉を巡って 第71回カンヌ国際映画祭に参加して考えたこと」を読んだ。次いでタイトルに惹かれて「打算を積み重ね、他人の死から目をそらして「国益」を選択する国(人間)を尊敬できますか?」を読んだ。

感想は書かない。読者諸氏にも読んでいただきたいからである。「打算を積み重ね、他人の死から目をそらして「国益」を選択する国(人間)を尊敬できますか?」は 2003.03.22の記事で、イラク戦争をめぐる小泉総理の米国追随を批判する記事であるが、今も通用する。若干の用語を入れ替えれば安部総理にも十分通用する。本物は時を経ても色褪せないということである。『万引き家族』 を早く観にゆきたい。

映画といえば、年末のBS特番で放映され録画しておいた「七人の侍」をやっと見終えた。以前に映画館で観たような記憶があるが、記憶の七人の侍と映画七人の侍とは随分と違っていた。というよりも随分と記憶違いが多かったし、記憶していない画面も多かった。

何よりも1954年公開の映画である。敗戦後十年も経ていない時期に、よくもまあこれだけの映画を撮れたものだと、監督・俳優・スタッフを含めた当時の映画人の凄さに驚かされる。予算が超過し制作期間が延びる中でこの映画を撮らせた東宝映画に驚く。

梅雨の晴れ間、西陽がきついからスダレをかける。脚立を広げて高上がりしてスダレを掛けてから、「今年も夏支度を設えられた」と少し安堵する。今年と同じことを来年もできるとは限らないが、取りあえず今年はできた。《この記事、No.2996》

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