iCloudでSlide Show

AppleにiCloudというクラウドサービスがある。誰でも5GBのiCloudストレージを無料で利用でき、いつでも簡単に容量を追加できる。追加の料金も2TB確保しても月額1,300円である。かねてから、このiCloudを利用して孫たちの写真や動画を孫に連なるファミリーで共有してきた。iPhoneやMac-miniやMac-air、iPadなどで遠隔地に居住するファミリーが孫の写真を共有してきたのである。

話は変わって、茫猿がHDに保存しているアルバムファイルがある。銀塩フィル時代のポジやネガをデジタル化して保存しているものである。アナログデータをデジタル化したのが2006年の頃である。60を過ぎ事務所の縮小や閉鎖を考え始めた頃であり、今にして思えば終活の一つだったのかもしれない。大量のアナログデータが残してあると思っていたが、引越を繰り返すたびに何処かへ紛失し予想したほどのデータ量ではなかった。

1976年に長男が誕生し、1980年に次男が生まれている。その後二人の成長に関わる様々な思い出が記録されている。当たり前のことだがみんな若かった。写真を眺めていると、懐かしく甘酸っぱい思い出がよみがえってくる。彼らが受験に専念する頃から家族旅行は無くなり、孫達と祖父母との旅行も無くなった。必然的にデータファイルも93年頃を最後に途絶えている。

アナログデータをデジタル化したものの未整理のままでは、いずれ邪魔物になってしまうしファイルの内容も判らなくなる可能性があるから始末を考えた。しかし今始末してしまうよりはiCloudに載せて遠隔地に離れた家族が共有することにした。息子達のアルバム650項目(764Mb)と祖父母のアルバム103項目(103Mb)である。

二つのアルバムが「ルイアームストロングのバラ色の人生」などのBGMに乗って流れてゆく。 しばし過ぎ去りし様々なこと懐かしく思い出していれば、いい気分だ。スライドショーを眺めながら思い出すことや伝えておきたいことが浮かんでくる。その都度、スライドショーを止めてコメントを書き込んでいる。いつか誰かが読むこともあろうか、そんなコメントである。

写真を眺めていると、一部の写真には日付が写し込んである。93年3月の孫たちと父母の写真を眺めていて思う。前年は指宿温泉と開聞岳に出掛け、この年は箱根へ出掛けたようだ。 祖父80歳祖母73歳である。孫たちは長男が17歳次男が13歳、その年でよくもまあ孫と出かけたものだと思う。一泊二日の短い旅でも帰宅すると二人ともぐったり疲れていたのが、今になってよくわかる。翌年からはもう出かけたくないと言うようになった。

その昔、倉敷へ泊まった頃か、幼い孫達二人は断りもなく深夜にブルトレを見に出かけてしまったという。気づいた祖父母は大騒ぎをした、祖父母はまだ若かったとはいえ祖父は70過ぎ祖母は60半ばだったはずである。この頃の孫と祖父母の旅行写真は何も残っていない。使い捨てのフィルムカメラを持たせたと記憶するが、祖父母も孫達もロクな写真は残していない。

庭や雑木林を巡っていてふと気付かされた。改めて言うまでも無いことだが、この鄙里の総ては父母の作品なのだと気づく、だから懐かしいし愛しいのである。iCloudで祖父母と孫たちの写真を整理していて折々の出来事を思い出すのである。この写真は1975年頃、旧の母屋を解体している風景写真、よくも撮り残していたとものだと思う。思うが残っているのはこの一枚だけである。《当時、鑑定評価の添付資料として、数枚の写真を切り貼りして広角写真を作っていた。一眼レフや広角レンズを購入するのは、もう少し後ほどのことである。》

昭和18年春(1943年)父と母は結婚し、前年1月に亡くなった祖父の隠居所であったこの鄙里に新居を構えた。(祖母は若くして既に亡くなっていた。)東京から疎開してきていた父の姉たち(母には煩い小姑たち)が当時の母屋(鄙里から500mほど離れている。今は叔母とその家族が居住している。)を占拠していたし、父は私が生まれて間も無く出征してしまったという事情が背景にある。

当時の鄙里は隠居所にふさわしく、六畳二間と台所の藁葺き屋根の杣家だった。冬のすきま風や屋根を瓦に吹き替える時のとんでもない土埃などをかすかに記憶している。藁葺き屋根の軒先から柿の木が多く茂っていたことや、畑に麦・陸稲・薩摩芋などを栽培し供出していたことも幼児の記憶にある。

その後、何度かの増改築を経て今の鄙里に至ったわけであり、すべてが父母の遺した作品なのだと思っている。もちろんのこと、現母屋の新築に際しては私も多少は口も金も出したが、父母の作品に変わりはない。庭も雑木林も今や私が手を入れて茫猿流に設えてはいるが、やはり父母の作品なのだと思っている。iCloud・スライドショーで父母のアルバムを眺めていると鄙里と茫猿の七十五年の有為転変が浮かび流れ消えてゆく。

《この記事、No.2999である。 2990号を記録しカウントダウンを開始したのが05/28であるから、ほぼ一ヶ月で満了ということになる。次号はいよいよ大台の3000号に到達する。》

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