No.3001お祝いとお見舞い

「鄙からの発信」3000号到達のお祝いと先々月の入院騒動のお見舞いをいただいた。実名を掲げても構わないのだが、まだ現役である先様のご都合もあろうことから、AさんとNさんとしておく。

老境にはまだまだ間のあるNさんはともかくとして、茫猿と年齢を同じくし老々介護の現場におられるAさんにとっては、茫猿が最近直面したどの問題も我が身に置き換えることのできる切実な問題である。

介護を受ける身になったときに「延命治療」をどのように辞退するか避けるかなどでひとしきり盛り上がった。生きることは死ぬことと同じ身の上になっていることを、どう自覚し、どう静かに受け止めるかが、一人一人に問われているのである。

「鄙からの発信」3000号を祝って三本のハイビスカスをいただいた。せっかくだから、プランターに移植して、土用越しは当然のこと冬越しを養生して来夏も花咲かせようと言うのである。生きることは死ぬことであるとホザイタ舌の根の乾かぬ間に来夏のことを言うなど「死ぬことは生きること」なのである。

現役鑑定士で士協会役員でもあるNさんとは「不動産鑑定契約のあり方(受任者選定方式等)に関する基本的見解(抜粋)」を巡って盛り上がっていたら、Aさんから「その元気なら、当分の間は大丈夫だわ」と突っ込まれた。

しばらく、まともな会話をしたことがなかったから、いい時間をいただいた。お見舞いいただいたお二人に感謝である。 これから「No.3002・契約と競争-2」の記事作成である。Nさんと約束した遠慮会釈の無い記事が書けるかどうか、疚しき沈黙だけは避けたい。

《2018.06.29追記》
先のこと先のこと、行きつけるかどうかも分からないと思っていた3000号だけれど、到達してみればあっという間の通過点にしか過ぎなかった。これからは間遠間遠に記事を揚げて行くのであろうと思う。身辺雑記というよりも老人の繰り言が多くなるのだろうけれど、成る可くはそうならないようにと戒めている。でも繰り言をいうのも老人の慣い症だろうし、日毎に視野狭く、思考力浅くなって行くのも避けられないことであろう。

もう記事号数など目標にしても詮無きこと。本日よりの「鄙からの発信」は茫猿の生存証明にしか過ぎない。ところで、せっかく「No.3000・契約と競争-1」「No.3002・契約と競争-2」の記事を掲載したことだし、「不動産鑑定契約のあり方(受任者選定方式等)に関する基本的見解」全文PDF(20180627kenkai)に掲載されている存知寄りの連合会役員諸氏に記事を届けてみようかと考えている。届けなければ伝わらないし、疚しき沈黙は避けたいと考えている。

そしてまた日に三省する。顧みて愧じることなきや、顧みて悔いることなきや、顧みて驕ることなきや。さは然りながらも、雉も鳴かずば撃たれまいという思いと、疾しき沈黙はならじという思いのあいだを行きつ戻りつするのが実情である。

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