老醜or老惨(または老汚臭)

こんな標題を掲げれば、茫猿は暗く沈んで居るのであろうと思われるだろうが、決してそんなことはない。帯状疱疹の後遺症に悩まされて居るし、血糖値や血圧の上昇下降や血液の流動性に気を使わなければならない毎日、つまり薬の服用を休めない日々であるが、それなりに気張って過ごして居る。この標題は「横井也有の鶉衣」や「天野 忠の老醜」をふと思い出した時の検索フレーズである。老汚臭は「ロウオシュウ」と打ち込んだら誤変換されたもの。それもアリかということで。

横井也有の鶉衣、「鄙からの発信」への初出は2005年のことである。

くどくなる、気短になる、ぐちになる
思いつくこと みな古くなる
聞きたがる、死にともながる、淋しがる
出しゃばりたがる、世話焼きたがる
又しても同じ話に孫ほめる
達者自慢に人をあなどる

当時は実も蓋もなく老醜を揶揄した詩であると評している。一年ほどして少しは素直に腑に落ちるようになりましたとも記している。思い当たることが増えたか、減ったかと自問自答していますが、意味もなく(思い当たることを)増やさないように気張るのは、心身に悪いように思えるとも記している。13年も前であれば、パロデーとして受け流していたと思われる。それに両親も健在だった。

続いて「天野 忠 老醜」
鏡を見るたびにギョッとするわね。
つくづく時間の力は恐ろしい。
このシミ、この皺・・・・・
でもねえ。
そのシミ、その皺一つ一つだって
親切に時間が選んでくれたスタンプだよ。
その顔は謂わば丁寧な集印帖さ
古いほど値が上がることもある

我が顔が、先へ行って値の上がる御集印帖とはとても思えないけれど、シワ深くシミ黒く御集印帖としてはそれなりになってきたのかとも思える。この件はこれでスルーする。

ところで、帯状疱疹後遺症の神経痛が一向に良くならない。暑くなれば痛みが和らぐかと期待していたのだが一向に和らぐどころか増すみたいである。寝れば気にならなくなるのが救いであるが、起きて居る間は右手が動くたびに右腋の下を痛みが走る。医者の言う通り、一生付き合うのかと思えば憂鬱である。

この後遺症はPCキーボードやマウスを動かしているときはとても気になる。ボールペンを握っているときも同じである。ところが、スコップやツルハシを振るっている時は気にならないのである。大きく腕を動かせば痛みを上回る痛み止めというか、痛み躱しになるようだ。

先に記した通り、西側江川への排水管掘削・埋設工事にほぼ一ヶ月を費やしたせいで、様々な農作業が遅れている。作業速度だって落ちているし、この暑さでは長時間の炎天下仕事はほどほどにしておきたい。だから、どの作業も遅々として進まない。

庭のヒラド、サツキ、サザンカ、ツゲ、モチなどの刈り込みを始めている。昨年までは刈り落とした枝葉の始末がひと騒動だったけれど、今年はブロワバキュームという強力助っ人が登場したので、作業工程が軽減されている。しかも枝葉の堆肥としての再利用も可能なようである。このブロワバキュームは昼飯町に住む縁者からの払い下げ品であるが、とても重宝している。

刈り込んで小ざっぱりした母屋の玄関前である。五葉松と槙の刈込みは、これから時間をかけて手バサミでゆっくりとする作業である。

桜と柿の二度目の防除を行う時期も近ずいている。柿のヘタムシ防除、炭疽病の防除、桜のチャドクガやマイマイガの防除については長年ランネートを使ってきたけれど、薬を変えた方がいいのかもしれない。ミカンのテッポウムシ対策もしなければいけない。最近付き合うようになった農業資材販売店のアドバイスを聞いて”パダン”を買い求めた。

農業資材販売店についてはこんなことがあった。草刈機の更新を考えるようになっていたから、ホームセンターを何店舗か巡っていたけれど、希望にピッタリ来るものがなかったのである。それが先日のこと、この販売店を覗いたら求めていた機種に出会ったのである。販売店では農家さんはこの機種を指名買いされますよとも言う。家に帰って十年も使った今の機種を確認したら、同じメーカーなのである。そこで茫猿も、即座にこの機種を指名買いするのである。

六十半ばを過ぎた頃からか、去年ほどは仕事が進まなくなったと感じるようになった。疲れやすくも感じた。七十を過ぎ、ドクターストップがかかった今年は、去年は一日で終わった作業が二日も三日も掛かるようになり、「それでいいのだ」、「そうあらねばいけないのだ」と許している自分がいる。

晩年の母親が口癖のように言っていたことがある。「年寄りは、放っておけば小汚くなるものだ。だから身ぎれいに、小ざっぱりとして、若い者に嫌われないようにしていなければ。」自分でも意識していたし、夫にも口煩く注意していた。「綺麗な年寄り、可愛い年寄り」を目指していたと思い出す。

老醜も老惨も避けられない。必ずやって来る道でもある。老汚臭だって、そうならない保証など何処にもない。だから、意識して老醜や老惨を遠ざけねばならない。まして加齢臭が避けられない以上、老汚臭も無縁でいられないかもしれない。だから意識して避けるべく努力を怠ってはなるまいと思っている。「綺麗な年寄り、可愛い年寄り」は今や私たち老夫婦の終生の目標なのである。《旅に出たいなと思っている。何か旅プランを立てるか。宇治周辺などいいなぁ。》

そしてまた日に三省する。顧みて愧じることなきや、顧みて悔いることなきや、顧みて驕ることなきや。さは然りながらも、雉も鳴かずば撃たれまいという思いと、疾しき沈黙はならじという思いのあいだを行きつ戻りつするのが実情である。《2018.06.27に続き再掲する。「粗にして野なれど、卑にあらず」と併せて常日頃に念じておれば、少しは身に付くかもと考えてのことである。》

 

 

 

 

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