野池の顛末

我が鄙里の雑木林の中には野池がある。この野池、冬枯れの間は池に通じる江川の水位が低くなり、漏水していることもあって池は干上がっている。この冬枯れのあいだに何年か前に行った、池の擁壁工事の修復を始めたのである。

この鄙池(野池)は長く土竜(もぐら)や牛蛙が作った穴による漏水に悩まされていた。井戸の水を汲み上げて池に流し込んでおけば、水位は保たれているし水質も保持できている。しかし、現役引退して井戸ポンプの電気代もバカにならなくなったし、度重なる漏水や襲来する野鳥の被害で放流していた鯉もいなくなったので、最近は干上がるままに放置していた池である。

この池のもともとを質せば1940年頃に祖父によって築造されている。私が小学生の頃(1955年頃)には、池と土管でつながる江川は現在のようにRC護岸で水路改良されていなかった。その頃には、江川と池は水も魚も行き来しており、毎年秋には近在の若い衆が池の掻い掘りをして鮒や鯰や鯉をタライに一杯になるほど捕まえるのが常だった。

江川も今よりははるかに澄んでいた。今は引込み水利権が制約される揖斐川からの引水に頼っているが、かつての用水は掘抜き井戸によるものであり自噴水量は豊富だった。戦後に立地する多くの工場が工業用水を地下水に頼ったことから、多くの井戸は枯れるか自噴しなくなったのである。《水が豊富ということは、反面、内水湛水に悩まされてもいた》

掲載する写真が撮影された時期は不明であるが、アルバムの前後の写真から1955年前後と推定される。江川は改良前であり、田舟も浮かんでいる。写真奥に写る家屋も今は全て存在しない。

その後に江川が水路改良されて水位が下がったことにより、池が干上がりヨシが茂るようになった。池はいつか枯れたヨシの堆積により湿原のようになっていった。築造後八十年近くが過ぎれば、江川はRC護岸となり、池の周囲は楠、メタセコイア、杉、檜、楓、銀杏、椿などの多くの樹木が雑多に生い茂る雑木林と化していった。

そして、鑑定士生活も落ち着き始めた四十代半ばの頃(1990年前後)に、手を入れることなく長く放置され荒れるにまかせてあった池を掘り上げ始めたのである。池の修復が終わるとともに鯉を放流したのである。

この写真は記録される日付からすれば1990.01.21の工事写真である。週休二日制が始まった頃に、四十半ば男盛りの茫猿が体力まかせの余暇仕事だった。石積みを壊し樹木を伐採しなければユンボなどの土木機械は持ち込めないので、作業は全て茫猿一人が手作業で行った。道具はスコップと一輪車と渡し板である。排水も最初はバケツによる掻い掘りだったと記憶する。電動排水ポンプを購入したのは、しばらく後のことである。池の中央部が掘削途中であり、渡してある踏み板が見える。

その後、池の掘削工事が終わり、井戸水を池に引き込み、緋鯉を放流した。

1993年の晩秋の頃と推定される鄙池の様子。

池を掘り上げて鯉を放流した1990年頃から2010年にかけて、またそれ以降にも、多くの人々が訪れて池のほとりや木陰でアウトドアライフを楽しんでくれた。中学の同級生、高校の同級生、大学の朋友、RCの仲間、同業の友人たち、村祭りの若衆組仲間、リピーターも多いし、芋煮、厚岸秋刀魚炭火焼、地鶏燻製、飛騨牛網焼などの集まりを年に数回も催したこともある。

《2011/05/21 2分41秒》110521imoni 《音声にご注意》
岐阜県士協会の面々が芋煮会に集う鄙里木陰の席で、樹下氏が「飛騨めでた」を唄う。今やお歴々である岐阜県士協会の面々が正座して聞き入っているのが、何やらおかしい。
《 101031hidamedeta 》《音声にご注意》
前年秋に唄われた飛騨古川メデタ、歌い手は同じだが聴衆が異なる。

2001年05月 茫猿は網膜剥離で緊急入院を余儀なくされたのだが、その入院中に鄙里の池では最初の水漏れ事故が発生し、池で飼育してた錦鯉数十匹が可哀想なことに枯死してしまった。 その後、水漏れ防止対策がはかばかしく進まずに、再び鯉を飼うことなく十年余が経ったのである。

その事故から十年余が過ぎ現役を引退した茫猿は、今や晴耕雨読の日々をおくり、時に暇を持て余してもいる。 そこで余暇のつれづれに本格的な水漏れ対策を始めたのである。 2011年から2012年にかけて最初に行った対策工事は予期したほどの効果を得られず、漏水も部分的にしか止めることはできなかった。 水漏れ防止工事の難しさから、再び鯉を飼うことも一度は諦めていた。 しかしながらつれづれの慰めに生き物を飼いたい望みをを捨てきれず、水辺の作業に好都合なこの冬の渇水期に、水の冷たさをガマンし腰の痛さにも耐えながら、より根本的な漏水対策工事を行ってみたのである。

再び鯉を飼いたくなり、2013/04に漏水を防ぐ為の擁壁工事を行ったのである。工事の結果、漏水は止まったが、今度は青鷺や川鵜が池にやって来て放流した鯉を食べ尽くしてしまったのである。防鳥網を張ってみたけれど、池全体を覆うことは叶わず何の効果もなかった。

そして六年が過ぎたのである。この冬に干し上がった池を眺めているとコンクリート板の擁壁がぶざまに見えて仕方なく、今一度石積み擁壁に戻してみようと考えた。年々衰える体力でどこまで出来るのか定かではないが、暇にまかせて時間をかけて挑戦してみようという訳である。《石積み工事の顛末に続く》

石積工事の顛末 投稿日: 

飛騨古川メデタを探していたら、2010/09/28にアップした、今は解体された茫猿鉄道の動画が出て来た。SLの汽笛が大きく鳴るからご注意あれ。
《 100928fukanweb 》

 

 

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