寒緋桜開花

鄙里も華やぐ桜の季節が始まり、先ず寒緋桜が開花した。昨年は03/10、2017年は03/13、2016年は03/07、2014年は03/14に開花を記事にしている。2015年はなぜか3月中旬に緋寒桜開花と記してある。何れにしても例年に比べて二週間は早い開花である。これだけ早いと、今年の鄙桜はいつ頃開花するのだろうかと気になる。

この寒緋桜は2012年暮れの初孫誕生を記念して、翌2013年の三月三日雛祭りに植樹したものである。桜を眺めていて思った。今年は植えて六年目、あと五年もしたらそれなりに見られる若木に育っていることだろう。茫猿が傘寿の翁になった頃であれば、孫姉娘も妹の手を引いて新幹線に乗り、花見にやって来られるのではなかろうか。桜の下で孫娘たちと花見ができたらいいなと、ふと思ったのである。

今年の賀状には「喜寿忘れ 桃栗植える 冬日和」と書き添えた。畑と雑木林との間で木々の日陰になることが多いから空き地にしてある場所に、かねてから何か植えたいなと思っていた。昨年暮れに度々植えたいなと思うのであれば、この際植樹しよう。花が咲くのも実をつけるのも、必ず間に合わないというわけでなし、間に合わなくても「それはそれで良し」と考えたのです。(マンサクも椿も例年より二週間程度早い。)

喜寿を超え傘寿を迎えることが、もしも出来たたときに、「あの時植えてあれば、桃の花見ができたのに、孫と栗拾いができたのに。」とは思いたくない。そう考えただけのことである。何より空き地を見るたびに心残りを思わずにすむ。あと五年もして八十近くなった頃に、孫娘たちと桜や桃の花を眺め、桃狩りや栗拾いが出来たなら素晴らしいことだ。この椿が咲くたびに、散った花びらで樹の下は花筵となる。 その花筵の上で遊ぶ我が母と娘の幻を見るのである。《 吾娘(あこ)と母 遊ぶ影見ゆ 花むしろ(茫猿)》

《茫猿遠吠》
国会論戦がつまらなくなると云うよりも、ゴミ箱のほじくり合いの如、哀れな惨状を呈するようになって久しい。森友学園、加計学園騒動あたりが発端だろうか、この頃は勤労統計などの偽装やすり替え疑惑が騒がしい。

政策論争や政策目標など次元の高い議論など望みうべくもない。偽装、すり替え、廃棄紛失疑惑、挙句、論点かわしすり替え言い逃れなどなど、何をどう追求されようと安倍総理は『蛙の面に小便』、菅官房長官は『薄ら笑いの鉄面皮』なのである。彼らを選挙で少数派に追い落とす以外に抗する術はないようだ。

ようやくのことに、東京新聞&中日新聞が自社の望月衣塑子記者に対する「質問制限や質問妨害」問題について、紙面とWebを使って反論した。政府は、「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員。貴社は民間企業であり、会見に出る記者は貴社内の人事で定められている」と詭弁をもって反論するが、新聞はじめジャーナリズムは『社会の木鐸』とは今や死語となったか。

《満開になった白梅》この季節は畑で香りに包まれて鍬を振る。
《こちらの梅はまだ咲き初め》

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