士協会40年

岐阜県不動産鑑定士協会から40周年記念誌が送られてきた。昨年10月に開催された創立40周年記念式典の記録ならびに40年の歴史を綴る冊子である。

創立40周年とは、1978年(昭和53年)に創設された(社)日本不動産鑑定協会中部支部岐阜県部会に始まる40年である。初代部会長は(故)板津友次郎氏である、茫猿は板津氏のあとを継ぎ1985年に二代目の部会長を一期だけ務めている。尚、茫猿が岐阜市内に鑑定事務所を開設したのは1974年5月のことである。

記念誌によれば岐阜県部会設立当初の会員数は23名とある。記念誌に掲載される会員録から、1978年以来の、つまり創立時会員を確認してみたら、今やわずか5名を数えるのみである。40年間で物故者が13名、退会者が5名である。

この県部会創立時会員である五名は40周年記念式典にて功労者顕彰を頂いたのであるが、つくづく考えてみれば茫猿が功労者というのも烏滸がましくて、創立時会員でかつ健康に恵まれ一番長く会費を支払った会員ということであろうか。なお5名中4名は順次、部会長や会長を務めている。会員録に掲載される写真を見れば、老化を隠せない我が容貌であるけれど、古参会員の多くも今や老化が歴然である。

現会員51名のうち、平成年間に入会した会員が37名、昭和年間に入会した会員は14名である。ここでも昭和は遠くなりつつある。中部支部のなかの岐阜県部会という下部組織として発足し、独立法人格を有する社団法人岐阜県不動産鑑定士協会、そして公益社団法人岐阜県不動産鑑定士協会と組織を整え、会員数も順調に増加し2010年には53名を数えている。会員数はその後増減を繰り返し、現在は51名である。

会員数がこの十年間は横ばい、もしくは微減状態にあることが、不動産鑑定業界がおかれた状況を現しているとも云えよう。既存分野の拡大も新たな業務分野の開拓もままならない現状ではあるが、ビッグデータの解析や地理情報システムの充実などを手がかりとして、五十周年、六十周年を目指してほしいと願うのである。

《追記・十周年記念》
茫猿が岐阜県部会長として迎えた県部会創設十周年記念式典を思い出した。1986年9月12日に開催された記念式典は「中部会・鑑定会議」との併催だった。初めて名古屋市以外で開催される鑑定会議を岐阜県部会がプロモートすることを記念しての十周年記念式典の併催であった。

鑑定会議は「新しい土地利用の在り方を求めて」をテーマとし、当時の梶原岐阜県副知事の基調講演「情報化都市の構築と行政の対応について」、国際日本文化研究センター・準備室長・梅原猛教授の記念講演「日本人の成立」が行われた。エクスカーションは長良川の鵜飼観覧であった。

   

《蛇足ついでに》
当時の岐阜県部会長は中部4県不動産鑑定会議を岐阜に誘致したは良いのだが、何か岐阜開催の目玉が欲しい。そこで思いついたのが無理やりの十周年記念である。当時の来賓田村土地局長から「どう計算してみても十年にならないのだが」と言われて冷や汗をかいた記憶がある。

この主賓田村土地局長をどのように接待するかと考えあぐねていたら、岐阜県が建設省都市局出身の梶原副知事が鵜飼に招待するからとサラっていった。「やれやれ」とホッとしたことを憶えている。

鑑定会議を岐阜に誘致した背景は、それ以前の数年のあいだ鑑定会議を記念講演とパーテーだけのお祭りにせず、四県(愛知、静岡、三重、岐阜)の会員がこぞって参加する意味あるものにしたいと、四県がそれぞれ分科会もしくはパネルデスカッションを開催していた。それが数年を経てマンネリ化(テーマの枯渇、小規模県の負担が重い)したことによる四県持ち回り開催への変更なのである。

知事感謝状を贈呈され、県部会より記念品をお贈りした板津氏、川瀬氏、篠田氏、内木氏、熊田氏の五氏は、すでに二十五周年当時にはいずれも鬼籍に入られていた。

十周年は県部会長(42歳)として、二十五周年は実行委員長(60歳)として、四十周年は功労顕彰者(74歳)として関わったことになる茫猿なのだが、半世紀五十周年には物故者として記念誌に掲載されるか、それとも歴史の生き証人として臨むことになるのか、いずれにしても会費を払い続ける楽しみもあろうというものである。

士協会25周年記念行事 投稿日: 

記念式典アルバム-1    2004年4月19日
記念式典アルバム-2 
記念式典アルバム-3 

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