鄙桜2019開花

我が鄙桜が開花した。鄙桜とは我が陋屋の庭先に植生する山桜である。推定樹齢は30年〜35年くらいだろうか。私が植えた桜なのは間違いないが、植えた時期の確かな記憶が無いのである。この「鄙からの発信」の記事アーカイブを検索してみても植栽時期は何処にも記していない。

開花時期についても、開花を記事にしているのは「陋屋の花  2008/04/04」記事が一番古く、それ以前は鄙桜についての記事も少ないし、開花そのものも記事にしていない。2009年まで茫猿の日常は毎朝早く家を出て、岐阜市内の事務所へ通勤していた。桜に気を配る余裕などなかった。満開になれば目をやることもあったけれど、土日も家を空けることが多かったから、まじまじと桜を見ることも無かった。

記憶に残るのは、夜遅く帰って車のライトに照らされる満開の桜に気づき、しばらく見惚れたことくらいである。2010年以前の昼日中、鄙桜をゆっくりと眺めた記憶は残っていない。

そこで今朝の桜三題である。まずは染井吉野桜、樹高が高くて枝先の花の位置も高い。開花時期は数日前のことである。今朝で三分咲きくらいだろうか、花芯はピンク色である。
次に早く開花した大島桜である。一昨日03/28開花である、花芯は薄黄色。
そしてようやく開花した我が鄙ザクラである。花芯はさらに白い、この白い花芯が満開期を過ぎて散り初めると桜色を濃く帯びて行くのである。大島桜や染井吉野の花萼(がく)は刷いたように薄く朱色を帯びているが、山桜の萼は若葉と同じ淡い緑色である。

《例年の開花時期》
アーカイブ開花記事にみる開花時期であるが、近年はその時期になれば毎朝注意しているから、開花の確認はほぼ正確であるが、以前は気象庁の発表ほどに正確なものではない。おおよその目安にしか過ぎない。アーカイブで一番早い開花は昨年の03/27で、一番遅い開花が04/06である。過去十年間で三月開花が5年、四月開花が5年である。

投稿日: 2018年03月27日・鄙桜《山桜》開花
投稿日: 2017年04月06日・2017鄙桜開花
投稿日: 2016年03月31日・咲き初め鄙桜
投稿日: 2015年03月30日・咲き始めた
投稿日: 2014年04月02日・鄙桜開花
投稿日: 2013年03月29日・土筆と鄙桜
投稿日: 2012年04月06日・鄙桜開花
投稿日: 2011年04月06日・鄙桜開く
投稿日: 2010年03月28日・開花宣言
投稿日: 2009年04月03日・鄙桜090403

投稿日: 2008年04月04日・陋屋の花
※記事に掲載される写真で見るかぎり、開花後数日を経ていると思われる。
投稿日: 2007年04月02日・願わくは花の下にて春死なん 
投稿日: 2005年04月13日・花見にご招待 

2007年4月7日付け記事に「この桜、こぞの桜」と題する記事があったので、抜粋して再掲する。2007年にして既に桜への思いが変わりつつあるという自覚があったことに感慨深い。

「梅の花 あるじなきとて 春な忘れそ」と歌われるが、桜とて同じである。花も若葉も皆同じである。ことしも木々が芽吹いてくれる、花を付けてくれる、あるじの在りようなどにおかまいもなく、花は花の務めを淡々と果たしているのが心にしみいる春である。

桜を前にしての想いが年々変わってゆくおもいがある。梅や山茶花ではまだ季節が肌寒いからそうはならないが、暖かい芽吹きの春を感じればこそ今年の桜(このさくら)への想いが”ひとしを”となる歳に少しずつ近づいているのであろう。そのことはさておき、縁者達にも送る花便りなのである。
『 かえりみる こぞの(去年の)桜か(や) この(今年)桜 』(茫猿)

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