元号狂騒曲

花冷えの朝早くからテレビは元号々々と騒々しい。新元号は本日11時過ぎに公表されるのだが、此の狂騒は年初から続いている。昭和から平成への代替りの時は、昭和天皇の御不例による自粛ムードが世間に蔓延していたから新元号狂騒など無かった。昭和天皇御逝去の翌日、新しい元号は突然に公表された。新元号を報せる小渕官房長官のネクタイは黒だったと記憶する。

陛下の高齢を思えば生前譲位も然るべしと考えるから、新元号の制定公表に伴う大騒ぎもある種やむを得ないことに思える。新しい元号をめぐって右往左往というのも平和なればこそであり”内平かに外成る”とも”地平かに天成る”ともされる平成の閉幕にふさわしい長閑な狂騒ともいえよう。このところ多い、何でも”平成最後”と冠付する風潮はいささか苦々しいものがある。去り行かれる平成天皇の心中を思えば静かに心平かにお見送りできないものかと思うのである。

新元号についての予想が賑やかである。なかには安倍総理や菅官房長官に忖度して《安寧》とか《安閑》などと下馬評も喧しい(かまびすしい)が、有識者も内閣もそこまで愚かではなかろうと考えている。逆にそのような愚かな”忖度”や”阿諛追従”が蔓延れば、元号が忘れ去られる契機にもなるであろう。

茫猿は元号で暦を考えることを長らくしていない。西暦でないと経過年数計算が面倒だからである。パソコンによるデジタル計算にも西暦一本の方が簡便である。和暦を使用すれば煩さであるから、行政文書も和暦西暦の併用を考えるべきだと思うが、現政権には望むべきもなかろう。茫猿は元号廃止論には与しないが、公文書に元号使用を強制する考えにも与しない。すべからく元号なるものは雅号に近くあるべきと考えている。

《話変わって》 今朝の中日新聞一面にこんな記事が掲載されていた。『外国人労働者受け入れ拡大に向けた改正入管難民法が四月一日に施行された。これに伴い、本紙が中部九県の児童養護施設に問い合わせたところ、外国籍か無国籍の児童が少なくとも九十人近く入所していることが分かった。法改正でこうした子どもの増加も見込まれるが、厚生労働省は外国籍の入所児童数を把握しておらず、受け入れ態勢強化は施設頼みとなる懸念がある。』

入管法の改正は、人手不足に伴い外国人労働者の受け入れを拡大しようとするものであるが、外国人労働者の受け入れ拡大は現行の技能実習労働者受け入れという弥縫策の綻びを大きくするものになりはしないかと危惧する。国内外の悪質(外国人)人材派遣業者の跋扈をこれ以上野放しにしておいてはいけないと考える。

出稼ぎが出稼ぎに止まる保証など何処にも無いのであり、定住とまで言わなくとも、何より安定した労働環境を維持する上で家族の存在は欠かせないものであり、それは日本人であろうと外国人であろうと同じことだろう。数ヶ月、せめて一年未満の滞在であれば単身来日を前提条件にしてもよかろうが、数年以上の滞在を前提にする以上は原則日本人と同等の待遇でなければなるまいと考える。日本人だって、単身赴任は問題多い勤務条件と考えられている。

外国人労働者の受け入れは、事実上の移民政策であるべしと考える。そういった観点から、夫婦別姓、宗教的寛容施策(特にイスラム教)、二重国籍容認、ヘイトスピーチ対策などの基本政策から問い直されなければならないと考えている。安い出稼ぎ労働者だけをあてにする(使い捨て)政策はいずれ破綻を招き、日本への失望や嫌悪を増やすだけとなろう。

とは言いつつも、正規雇用者を減らし非正規雇用者のみを増やしている現下の日本に、外国人出稼ぎ労働者を正規に雇用し働いてもらおうなどという”倫理”を求めることなど、無理な相談なのであろう。

今朝の鄙桜(手前右・まだ咲き初め)、大島桜(川沿い中央・三分咲き)そして辛夷(川沿い左手)、風景はまだまだ寒い。

《2019.04.01 11:30追記》
新元号が予定時刻より10分遅れて、『令和:れいわ』と公表された。公表時刻の遅れは元号政令手続きに関わるものと思われる。出典は万葉集であると菅官房長官も安倍総理も力説する。『初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす』を典拠とする。

ところが後漢の詩人張衡(78~139)の「帰田賦」にある「仲春令月、時和気清」が本来の典拠ではないかという説がネットに出ている。万葉集の編纂は760年頃であるから「帰田賦」の方が600年も古い。「帰田賦」は『文選』に収められており、万葉集の編者大伴旅人や家持が素養として『文選』を読んでいたであろうとは当然に推定できる。枕草子にも「文は文集、文選」と書かれている。

初めての国書由来の元号などと力むことなく、国書にも漢籍にも典拠ありと素直に述べればよいものを、国粋的に国書々々などと言うから御里が知れることとなる。また元号のスタートに禍根を残すことにもなった。愚かなり安倍内閣、素養の無さを露呈する。

とはいえ、『令和』に罪は無い。と言うよりも「春まだ浅きころ、中天に冴えわたる令月あり、清々しく梅花香り、気は和やかななり」とあれば雅趣に富む良き元号である。

新元号について内田樹氏が2019-04-02付けにて語っている。傾聴に値する論である。

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