父のシンビジウム

2010年の12月に亡くなった父が遺したものに”シンビジウムの鉢”が、確か12鉢あった。亡くなった翌年だったと思うが、株を分けたり鉢を入れ替えたりして管理を続けてきたものの、幾鉢かが枯死してしまい、今は五鉢を残すのみである。

そのいわば枯れ残った五鉢のなかの一鉢がようやくに花芽をつけた。此度の十連休にやって来る孫たちに見せたいと思ったが、彼女らが鄙里に居るうちに花開くことはなかった。同じように幼樹を植えてから三年目にして多くの花を咲かせた桜桃も彼女たちにサクランボ狩りを楽しませるには間に合わなかった。そんなこんなの「平成から令和への十連休てん末」である。

《父のシンビジウム》
長く花も咲かせず、株の生育も不全なままに推移してきたが、そのうちの一鉢がようやくに花芽を付けた。父へ好い報告ができる。(2019.04.20撮影)

《樹々笑う》
樹々微笑むと先日記したが、よく見れば樹々笑うである。芽吹くカエデ(左)とキンモクセイ(右)である。(04/22撮影)

様々な花を撮ってみた。(左)利休梅(中)八重の山吹(右)紅蘇芳
    
(左)八重桜(中)著莪(右)満天星
    
(左)ブルーベリー(中)キヌサヤ(右)名残りの御衣黄桜
    
御衣黄桜は花芯部が赤味を増し、もうすぐに散りゆく。以上、いずれも04/22撮影。

(左)牡丹が咲いた(04/28撮影)(中)いいたて雪っ娘、連休明けには畑へ定植する予定(右)芽吹いた鄙桜のタネ、こちらも連休明けには苗畑へ移植する予定。
    
イチョウやメタセコイアが芽吹き始めて、微笑みから笑うに近づいた鄙里、ヒラドツツジが咲き始めた。

《孫娘たちとの十連休》
SNSでの”リア充”の如きを披瀝するつもりなどまったく無い。無いけれどそのように読まれてしまうのも厭わずに、孫たちの笑顔と過ごした七十五の陽春なのである。すでに昨日の夕食を思い出すのに一苦労する老茫猿のための備忘録でもある。だから、食事や子供の日ケーキカットの写真なんぞは載せない。

珍しくというのも、長期連休などあれば海の外へ出かけたがる、時には妻子もそっちのけで独り出かける癖さえある長男が娘二人と鄙里へやって来た十連休なのである。2019.04.29 夕方に新幹線ひかりで羽島駅へ降りたった三歳と六歳と四十二歳の三人連れである。旅慣れてきた六歳はともかく、三歳のお守りはお疲れ様である。

2019.04.30(雨)雨降りだからとアクアウォークに出かけたものの、人混みに気圧されて疲れるだけだった。ユニクロで孫の着替えを求めたら”すみっコぐらし”のオリジナルプレゼントを貰えなかった妹娘がレジ前で爆泣する。仕方なくプレゼントのためにもう二点を買い求める。何だか本末転倒だけれど、三歳児の爆泣願いには勝てない。早々に帰宅して、夕食は近在の焼肉名店”勝美”にて摂る。「赤羽の銘店より美味しい」と、塩タンもカルビもハラミもすべて孫に好評だった。

2019.05.01(雨のち曇り)は、Bakery Cafe 151@(151@は”いちごいちえ”と読む)にて週替わりパスタランチ、近頃ずいぶんとオマセになってきた姉娘には”オシャレな店ね”と好評だった。ランチの後は「木曽三川公園アクアワールド水郷パークセンター」を巡って遊ぶ。雨上がりの水郷センターは人気もなく好い空気と水と若葉だった。《ここはスケッチブックと弁当を持って孫と来るのに好い公園だと思う。》

2019.05.02(晴れ) 木曽三川公園センターにてお弁当ランチである。弁当は近在のスーパーが催した「令和祝賀・新幹線駅弁フェア」のお弁当を開店早々に並んで手に入れた。 ”東京ステーキ弁当”や”神戸ローストビーフ弁当”、”西明石鯛めし”、”岡山三昧弁当”などである。孫娘ふたりは芝生広場を走り回る。上げ馬神事を二日後に控えてこの日は閑かな多度大社にお参りして帰宅する。

2019.05.03(晴れ)丸明で肉を買い求めて爺特製のローストビーフを作るのである。また孫のリクエストに応じてマカロンと”こどもの日ケーキ”をモンターニュで買い求める。八時の開店に合わせて丸明に着いたら既に歳末並みの長蛇の列である。今回の連休が史上初めて「喪」の無い代替わり・年末(平成)年始(令和)なのだと、改めて思い知った。モンターニュも平時よりは一時間早く営業していた。朝八時前から二時間ほども爺は東奔西走してご馳走の用意をする。

《孫たちがやって来れば、魚豊(魚)、丸明(飛騨牛)、勝美(焼肉)そしてモンターニュ(ケーキ)は定番となった。晴れの日の遊び場・水郷パークセンター(公園)に雨降りや暑い日寒い日の遊び場”森ワクマーケット”も加えておこう。》

ところで、四月半ばに孫たちにとって母方の曽祖母が亡くなった。その葬儀に出た孫の感想が「次に年寄りの縁者は岐阜の爺だから、元気なうちに顔を見たい」と父親に言ったそうである。だから祖母を亡くした実家の母を見舞う妻は赤羽に残して、父娘三人旅で岐阜にやってきた。

《具体的にどのように姉孫が呟いたのかまでは聞いていないが、気にしてくれただけでも嬉しい。だから爺としても、多少の贅沢(という批判がましい家人の視線)よりも一期一会の孫の笑顔が優先なのである。「次に彼らがやって来る時に、元気で迎えてやれる保証は無いのだ。生きていても生きているだけかも知れない、だから今なのだ。」と言えば家人は「そう言いながら、百までヨイヨイで生きていたらと、心配なのよ。」と返します。》

《2019.05.04 追記》六日間も楽しませてくれた孫たちは昼前の新幹線で帰京した。姉はまだ居たそうだったが、妹は帰心矢の如しのようである。彼らの帰京に合わせて、シンビジウムがやっと開花した。今回もよく遊んでくれたプラレール。ゆっくりと片付けます。自我が育ってきたせいか、カメラを向けるとそっぽを向いたり、姉に見習ってやたらと変顔をするようになった妹をスナップに収めるのに一苦労でした。04/27(土)より平成退位の日、令和即位の日を挟んで 05/06(月・振替休日)に続く十連休はまだ二日を残しているものの、毎日が日曜日となって久しい茫猿にしてみれば、なんの変わりもない昨日に続く今日であり今日に続く明日である。 04/29 夕刻に岐阜羽島駅で孫たちを出迎え、05/04 昼前には新幹線に乗るのを見届ける六日間が終わってみれば、隠せない疲れから会話も続かない閑かな老夫婦には、”祭りのあとの気怠さともの侘しさ”が漂うのである。 次は夏休みだろうかと思うよりも、次も同じようにあれば好いな、あるだろうかなと思うのである。

何よりも昨年の今頃は、04/21から05/03まで市民病院の病床にいた。脳梗塞を発症して隣に寝たきり病床や死神を垣間見ていたのである。次あると思う仇し心なのであり、花に風、月に叢雲なのである。しばらく顔を見ていない久美子叔母と千恵子叔母の見舞いもそんなに先送りせず、母の命日が過ぎれば間を置かずに見舞おう。

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