2/3を得た民主主義

 小泉郵政民営化解散の結果、自公連立政権に国民が与えた議席数2/3というものの物凄さを、今年の国会は如実に示している。民主主義の原則は多数決であるが、同時に超多数に傾いた時に示す怖さも内在しているということを気付かさせるとても良い教訓である。これこそが歴史が教えた「民主主義が生み出すファシズム」なのであろう。でも、多くの人は気付いていない、気付かせる報道もない。


 H19年度予算案をはじめ教育基本法や防衛省設置法が一波乱も一難もなく国会を通過し、今また様々な問題を抱える国民投票法案が平然と成立した。それも全ては自公連立政権が衆議院で3分の2(338/480)という超安定勢力を持っているからである。
 しかも国民投票法案の強行採決に際しては、国民の「目くらまし」に、六年半ぶりの中国温家宝首相訪日や国会演説を利用するという周到さである。温家宝首相は自らの訪日が、日本国憲法改正:九条改廃への道造りに一役買ったことをどのように受け止めているのであろうか。
「目くらまし」といえば「1973年に渡辺さんの子供2人が北朝鮮女工作員(洪寿恵)に拉致された」という公安当局発表報道もいかにも不自然である。拉致場所も拉致犯人も判っている事件をこの時期に公表するという不自然さは、世論操作と紙一重であろうにマスコミは鼻提灯報道に陥っている。
 ジャーナリズムが立法・行政・司法と並ぶ第四の権力といわれたのは歴史の彼方であり、今のマスコミ・ジャーナリズムは牙を抜かれ眼も鼻も耳も塞がれた権力の走狗といって悪ければ、権力のコア・インサイダーであり、経団連と合わせて権力の共同受益体になっている。
 最低投票率規定も最低得票率規定もない国民投票法案の成立は、憲法を有権者1/3~1/4の賛成で改正しようとする道を開いたことになる。つまり、投票率50%獲得議席数70%=絶対得票率35%で憲法改正が発議され、投票率50%賛成過半数50%=絶対得票率25%で憲法改正国民投票が成立するのである。
 話は変わるが、「国家公務員上級職の天下り問題」に関して、某TVニュースショーでこんなコメントを耳にした。東大新入生に聞いた「天下り是非」について、「是とする割合が結構多い」ことに関連して、某コメンテーターは「東大生には上級公務員子弟が多いですから。」と解説していた。
 流れる川に浮かぶ泡のごときTVショーだからやむを得ないと言えばそれまでだが、天下り渡り鳥と化して多額の退職金や給与報酬を受け取る結果が次世代育成経費の高額支出につながり、ひいては社会の階級化を後押ししているという背景を見なければならないのに見ようとしない。
 「アルアル事件」で白日の下に曝されたのだが、TV界も今やニューリッチ層とワーキングプア層とに二分化されていて、渋谷・お台場・六本木・汐サイトの高層ビルの窓越しに下界を眺める人々と、コンビニ弁当を食べながら劣悪な職場環境でフリーター的請負・派遣労働に従事する人々とに、くっきりと分かれているのである。一旦掴んだ空調の効いた快適なヒエラルキー最上位の職場環境を失いたくないのは人情であり、対極に位置し彼等の下支えが無ければ成り立たない自らの立つ位置などというものを自覚したくないのは当然であろう。なぜなら、産業界に溢れる労働環境の二極化現象をジャーナリズムとして真っ向から取り上げると云うことは、実はマスコミ界にも溢れている労働環境の二極化を暴くことであり自らの快適な足元を切り崩すことに他ならないからである。

 マスコミが第四の権力となり、経団連と併せて、鉄壁のコアシステムを作りつつあるとすれば、それに抗して市民が行使できる武器は、この七月の投票権行使しかないのである。

 茫猿は、高額所得者が子弟の教育に高額を支出し自らが属する階層の固定化や継続を目指すことは、生命体として一面の真理であり、あながち否定されたり批判されたりすることではないと考える。
問題は、自らの意志とは無関係にワーキングプア層とかニュープア層に生まれた子弟達にとって、高度教育を受ける機会が潤沢に用意されていないということにある。

郵政民営化解散結果も都知事選挙結果も、尊重されなければならない民意の発露である。そのことに異論の在ろうはずもない。ないが何故か釈然としないのは、民意と云うモノが期待するほど賢明ではないにしても、絶望するほど暗愚でもないと揺れるからであろう。

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