職縁、地縁、血縁

 今朝のNHK-TVで百歳超え超高齢者の年金詐取や高齢者年金に頼って生活する老齢者などを特集していた。 身につまされる話が多いなかで、コメンテーターが述べていたことが気に懸かった。 『高齢化は血縁を薄くし家族親族のつながりが弱くなっている。地域とのつながりも低いし、老親老配偶者を介護するために働けなくなれば、直ぐに生活に困窮する。』、『地域社会が支える仕組みが求められているし、我々も近未来のことであるし、いつなんどき、そのような位置に陥らないとも限らない。』、『私たちにもできることがあるだろうが、何から始めてよいのか判らない。』


 『マンション暮らしでは、隣が誰かも判らない。戸建でも隣とのお付き合いは難しい時代だ。』
 茫猿も岐阜市内の事務所を閉鎖してもう半年が過ぎた。 業界の役職から退いてずいぶんになるし、鄙の事務所では訪れる人も稀だから、職縁がめっきりと薄くなった。
 母が存命中は足繁く訪ねてくれた母の弟妹も足が遠のいたし、老父の姉妹は多かったのだが、父は殆ど末っ子だから姉たちは既に亡く、今や訪ねてくれるのは一回り年下のこれも老妹だけである。 かくいう茫猿には弟が一人いたが先年亡くしている。 息子達は遠方に暮らしているし働き盛りだから、祖母の見舞いという口実が無くなった今、度々帰郷することは叶わない。 つまり、茫猿の血縁も母を亡くしてひときわ薄くなったと感じるこの秋である。
 職縁既に薄く、血縁また薄くなれば、残るは地縁のみである。 幸いなことに、我御先祖様がこの鄙に居住し始めて永いから、血のつながりは薄くなっても同姓の縁者は多いし、顔なじみにも事欠かない。 小学校中学校高校の先輩、同期、後輩にも事欠かない。少しずつではあるが鄙(村)の務めも果たしているから、縁が深まることはあっても薄くなったり切れたりすることもない。 薄くなった職縁や血縁を補うように、弟の忘れ形見との付き合いも心懸けている。
 だから寂しさを感じるよりも、新しい務めや付き合いに忙しさを感じているくらいである。 そんな恵まれた鄙暮らしの茫猿が云うのも烏滸がましいのかもしれないが、コメンテーターの発言には違和感を感じたのである。
 職縁が薄くなるのは年齢と共に仕方のないことである。職を退いたり転職すれば薄くなるのも当然のことである。 しかし、血縁については少子高齢化社会だから仕方がないと言っていてよいのであろうかと思う。 遠隔地の親兄弟や親族に手紙を書いたり電話したり、今風ならばメールやフォトフレームという手もあるだろう。
 何も縁者に限ったことではないが、盆暮れや折々の贈答についても贈答はしても一筆添えるという人は少ない。「いただきました」という返礼の葉書はおろか電話すら寄こさない人が少なくない。 どれほど忙しくとも、葉書を書く時間も電話する暇もないということは無いだろうに、何も応えないのである。 茫猿は折々に礼状を書いているのに相手方はいつも無しのつぶてである。
 何も愚痴っている訳でも小言を述べている訳でもない。 何が言いたいかと云えば、少子高齢化社会のせいにしたり、忙しさのせいにし過ぎてはいないのかと云うのである。 少子高齢化が進めば、少ない子供たちも老齢化してゆくのは至極当然のことであるし、たとえ老齢化していなくとも少ない子供だけが老親を支えてゆくのもなかなかに難しいことであろう。 さすれば地域社会の出番であろうし、社会全体として支えなければならないのも当然のことであろう。
 そうであればこそ、マンション・アパート暮らしであればこそ、日頃、顔を会わせれば会釈を交わし、時には時候の挨拶をして暫しの立ち話をする。 宅配便が届けば数日内に礼状をしたためる。 そんな暮らしぶりを生活習慣にするという努力を怠ってはいませんかと問うのである。困ったときだけ地縁頼みでは地縁も扱いに困惑するというものである。
 『隣が誰かも判らない。お隣とのお付き合いは難しい時代だ。』、『何から始めてよいのか判らない。』などと、TVコメンテーターともあろう人たちに口にして欲しくないのである。 多分、自らが職縁のみに生きていて、地縁や血縁に無関心な日頃を過ごしているから、そんな類の発言しかできないのであろうと思われる。
 平生往生という言葉があるが、日頃から声を掛け合っていれば、しばらく顔を見なければ何かあったのだろうかと気になるのが、人情というものであろう。 テレビのコメントにそんな思いやりを期待するのが八百屋で魚を購うようなことなのかもしれないが、それにしても生活感のない上滑りなコメントだと気に懸かったのである。世相評論家を気どるよりも、隗より始めよと言うではないか。
《閑話休題》
 民主党の代表に菅総理が再任された。 マスコミでは大差という見出しを付けているが、議員票は僅差だし地方議員や党員党友票数もそれほどの差ではない。選出制度に由来する見かけ上の大差にしか過ぎない。
 それにしても、マスコミが示したこの一年間の小沢バッシング、ぶれが大きい菅総理の消費税発言などを思えば、マスコミが何とつながり何を死守しようとしているのかが垣間見えてくるのである。
 記者クラブ制度(菅:発言無し、小沢:記者会見開放)、消費税率引き上げ(菅:検討開始、小沢:時期尚早)、普天間基地(菅:日米合意尊重、小沢:再検討)だけを取り上げてみても、菅総理がマスコミ、経済界、霞ヶ関の意向を忖度しているのは明らかなのに(つまり現状維持派)、小沢前幹事長は既成秩序の見直しを掲げている。
 今回の代表選挙(事実上の総理指名)は、《クリーンな鷹か、ダーテイな鳩か》、《無能なクリーンか、何かをしでかしそうなダーテイか》という選択であったように思える。 (菅総理が鷹派という訳ではなく、ダーテイな鳩との対比に過ぎない。)
 菅総理が無能と云うのは、勝てる参議院選挙を霞ヶ関に阿って(おもねって)消費税発言をして負けるべくして負けたことを指すのであるし、近くは十数年前の厚生大臣当時の実績を今さらに言上げしたことや、”小沢さん静かに”などという無用の発言を指すのである。 市川房枝女史ありせば、なんと言われるであろうかと思うのである。

《この小沢・菅両氏が争った民主党代表選挙について、達増岩手県知事がH22.8.23の記者会見で興味深いことを述べている。 マスコミでは全く取り上げられていないが、西松事件から陸山会事件に至る経緯、検察審査会への申し立てに関わる背景などについて語っている。 小沢氏の地元岩手県の知事が語ることだから多少の割引は必要であろうが、それにしても県知事が公式会見で発言し、岩手県の公式サイトに今も掲載されている公式発言であるから、信頼性は高いというべきか、それとも信憑性は高いと言うべきなのだろうか。 知事の語ることが真実であれば、検察国策捜査と囁かれたり、検察審査会のあり方が問われるのも故無しとしないのである。》

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