融解する地価公示(Evaluation No.39)

 ぼちぼち書こうかなと原稿の粗筋を用意していたのだが先を越された、十日の菊という心境である。 今日届いたEvaluation39号:五島輝美氏(競売評価ネットワーク副代表理事)の記事のことである。 特集公的評価の課題とその将来像「融解する地価公示・公的評価に忍び寄る抽象主義」と題する記事である。
 他にも、鑑定協会副会長兼地価調査委員長:小川隆文氏筆「地価公示の現状と展望」、鑑定協会理事・公的土地評価委員長:玉那覇兼雄氏筆「固定資産評価における分科会方式の確立と公的土地評価の一元化への布石」、同じく常務理事・情報安全活用委員長:澁井和夫氏筆「地価公示に愛を込めて」他2本計6本の記事が特集されている。
 五島氏以外の記事はそれぞれの筆者のお立場というものを考えれば、あのようにしか書けないだろうという記事ではあるが、地価公示等の現状を総括する上で、鑑定協会並びに競売評価ネットワークの執行部要職にある各氏の轡を揃えた論考である。 何れも是非とも一読しておきたい記事である。


 さて、五島氏の記事詳細はEvaluation:No,39を購入してお読み頂くしかないが、概要というか部分抜粋を記せば以下の通りである。

 五島氏は西部邁著「貧困なる過剰」を引用しつつ、知識人の疲弊と専門人の跋扈を云う。
即ち、『知識の活動それ自体が制度に吸い取られ、制度メカニズムの単なる部品として専門知ばかりが繁殖している。知識人の消滅と専門人の登場が表裏をなして進行している。』と云う。

 地価公示の分科会活動の活性化、—即ち、業者ヒヤリングと不動産関連の一般統計資料解析という分科会活動の活性化プラン—を指して、『地価公示制度の短絡的な現状維持に荷担する専門人(不動産鑑定士)によってなされるアリバイ作りと解される。』と云う。

 さらに収益還元法適用、不適用という問題について言及したのちに、取引事例作成における配分法の適用、事情補正・時点修正という加工に潜む問題点を指摘していると同時に、『事情補正・時点修正の両加工行為を経た比準価格試算を循環論の組み立てである』と云う。

 五島氏は論考を次のように結んでいる。
『地価公示評価はインターネット公開を恐れ、評価事務化していく。評価書の公開を部分的ルール変更によって短絡的に対処するのではなく、取引事例補修正一覧表の廃止(事例使用者が事情補正・時点修正・標準化補正を行う)、事情補正・時点修正欄を削除した比準価格の試算、自動計算システム(比準表)採用に伴う環境格差のゴミ箱化の解消、AB鑑定両者における鑑定書の交換によるチェック禁止等の抜本的検討を即時開始すべきと考える。』

 1969年に地価公示法が制定公布され、翌1970年に第一回の地価公示が実施されて以来、年々実施区域が拡大され地点数も増加して1995年には全国で3万地点で地価が公示された地価公示である。 その後財政事情悪化等、諸般の事情から地点数は削減し、実施後41年を経過した2010年地価公示では27800地点が公示された。
 その間において、当初は地価形成の指標と位置付けられていた地価公示であるが、1989年に制定公布された土地基本法第16条により公的評価一元化(相互の均衡と適正化)が図られて、課税土地評価の基礎としても位置付けられるようになった。 さらに2005年からは取引価格情報開示制度が加わり、全国の土地取引状況悉皆調査が地価公示スキームを利用して実施されている。(いわゆる新スキーム)
 昨今では(水面下ではあるが)事業仕分けの対象ともなっていると聞いているし、地点数は今後も削減が続くと云われているし、一地点を複数の鑑定士が評価する現行方式から単数評価への移行も噂されている。 いずれにしても様々な紆余曲折を経て現在に至っている地価公示であるが、四十年余も続いた制度は途中幾たびかの改善が図られたとはいえ、ある種の制度疲労や綻びが生じているのは否めない事実であり、抜本的改革が求められていると言えよう。
 地価公示は鑑定評価である。すなわち地価公示に認められる問題点は即鑑定評価の問題点であるとも云えるのである。
一、電卓利用もままならないアナログ時代に始まった鑑定評価であるが、今や電算利用はおろかネットワーク利用が当然であるデジタル化時代に、相応しい評価制度設計となっているかどうか再確認が求められている。 それは悉皆調査の実施と相俟って大量データの統計学的処理という、従来とは次元の異なる評価スタイルの導入も視野に入れられるべき状況下にあると云えよう。
一、PC利用が所与となりデジタル・オンライン納品が進められている地価公示は、ややもすればデジタルリテラシーが優先し、不動産鑑定士としてのリベラルアーツが何処かに置き忘れられているという憂慮されるべき事態も垣間見えている。
 この点については『鄙からの発信』頂門の一針 (2010年2月24日)記事を参照されたい。
二、地価公示が鑑定評価であるということは、収益価格に顕著に表れている。 賃貸市場が未成立もしくは未熟成な地域においては、収益還元法の適用自体が適切でないばかりでなく、賃貸市場がある程度成立している地域においても、評価対象の画地自体が賃貸建物の敷地として経済合理性が認められる規模に達しているか否かという問題点が存在している。(ある程度の規模に達していない画地における賃貸建物の建築想定は、建築費や経営上の観点から経済合理性が低かったり認められなかったりするのである。)
 節税や相続対策としての賃貸アパート経営が多い地域では、経済合理性を認める賃貸市場が形成されているとは言い難いのである。 駐車場保有が必須である地域において小規模アパートや貸店舗等に合理性は認めがたいのである。 しかし、地価公示実施地点のうち少なからぬ地点は小規模戸建住宅画地であったり、小規模店舗事務所等併用住宅画地であったりするのである。
 収益還元法・土地残余法の適用については、想定建築物に関わる問題点以外にも、様々な指数・係数に関わる問題点等が指摘されており、適切なベンチマークやインデックスの整備が求められて久しいのである。
三、では比準価格に問題点は無いのかと云えば、こちらも課題山積の状況にある。
取引事例を(個別的に)標準化補正し、地域格差補正の後に個別格差補正を行うという間接比準手法が今でも正しいのかどうか検証がなおざりにされたままである。さらに個別補正と(集団的)地域格差補正とのあいだに項目的重複が存在するが、それらは適切に行い得るのか否かについても検証が行われていないのである。 鑑定評価基準にも土地価格比準表においても、標準化補正と地域格差補正に類似項目が設定されているが、それらは重複しないのか、合成の誤謬を引き起こさないかという検証は未了なのである。(この件については、評価の電算処理-1 (2000年8月22日)他の記事を参照。
四、五島氏も述べているところであるが、比準価格試算の基礎とする取引事例には決定的問題点が存在している。 それは事情補正と時点修正である。 極く特殊な事例を除けば買い進み事情とか売り急ぎ事情などと云うものは事前に克明に判別出来うるものではない。比準価格試算過程を経て得た比準結果を総覧してはじめて、乖離する試算結果について事情の介在が推定でき得るのであり、事前には容易に判断できるものではない。
 早い話が、地価下降期に安いと認める事例だからといって、試算の最初に売り急ぎ補正を施してしまえば、本来存在していたであろう地価下落が消されてしまうのである。
 時点修正についても類似の問題点が指摘できるのである。 これらは制度創設の頃に取引事例調査を取引当事者や仲介事業者から直接聴取していた時代の名残であり、現在のように照会票を郵送回収するという面接調査を伴わない悉皆調査時代にはなじまない手法と云えるのである。
五、総じていえることであろうが、PCを駆使し、悉皆調査に基づく大量のデジタルデータを利用できる現在においては、従来型の評価手法に加えて、多量のデジタルデータ処理という新しい手法を加味することが求められているのである。ReaMapなどもその一つであり、ビジュアルな解析及び説明が求められていると云えよう。
 固定資産税標準地評価と地価公示・地価調査との関連についても、固評の指標であるはずの地価公示等が、ややもすれば固評の下請け的存在にすり替わっている状況も多く指摘されているのである。固評標準地価格網と整合しない地価公示とか、固評価格の均衡にそぐわない地価公示という指摘が往々にして聞こえるのも本末転倒と云わざるを得ないのである。
 PC利用が当然であり、多量データ処理が必然であり、公的評価一元化がビルトインされた現時点において、求められる鑑定評価とは、地価公示とはという問いに正面から向き合う時が来ているのである。 それらにおいて試行錯誤は必然であり、当然に生じるであろう過誤を当たり前のこととして受け入れてゆく専門職業家としての姿勢こそが求められていると考えるのである。
 それはまさに、国土交通省(地価公示)並びに都道府県(地価調査)が求める「評価書公開時代に備えた平仄揃え」という要請、市区町村(固定資産税標準地評価)が求める「課税目的であるが故の保守的意向」という要請に関わる「Client Influence Problem (2010年8月15日)」であるとも云えるのである。 それは時に「事勿れ主義」に陥る怖れ無しとしない。 であればこそRea Reviewが求められるとも考えるのである。
 かつて茫猿はArecというNPO形態の組織設立を考えていたことがある。 不動産鑑定士に求められるものは鑑定評価に関わる知識・経験は当然のことであるが、それら専門人としての必須事項に加えて専門職業家としての見識や哲学が求められると考えていた。不動産が人間の生活と活動の基盤である以上、不動産のあり方にかかわる見識を持たねばならないと考えていた。それがリベラルアーツであり、人間同士の微妙な触れ合いに精通するということなのであろうと考えていたのである。 その観点からすれば《鑑定評価が求める価格はザインか(存在)、ゾルレンか(当為)》というテーマは、鑑定士にとって永遠のテーマなのであろうと、今も考えている。 経済哲学として、ザインとゾルレンに関してはこの記事が参考になる。「経済哲学の現在:塩野谷祐一
《本稿は随時改訂を予定する書きかけ記事である。》

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