賀詞あれこれ

先日に続いて賀詞についての「アレコレ」を考えます。この文章は、喪中の友人に賀状を出して、咎められた訳ではないがそれとなく注意された折りに、返信したメールに手を加えたものです。


喪中の御挨拶は頂いています。又、君が御長男を亡くされた深い悲しみのなかにあることも重々承知しています。私は変わっているかもしれませんが、喪中挨拶は喪中の本人が旧年中に身辺に変化があり、年賀を欠礼するという報せであると考えています。私自身の加齢のせいか最近は喪中の報せも20~30と頂きます。それ故に私からの賀状には謹賀とか御目出とうとか言う語句をなるべく避けて、私には変わりがないという報せと心境雑感的な年頭挨拶をお届けするようにしています。本当は松が取れてから寒中見舞いを送るのがベストでしょうが、つい面倒で他の方への賀状と一緒に送ってしまいます。特に昨年は忙しさに負けて、賀状を手書きからファイル印刷に替え、一筆添える手間も省いたので、余計に各方面に失礼があったかと思います。
今年の正月二日に義兄が急逝しました。享年60歳、零細企業の経営者で跡継ぎの息子は28歳未婚です。何かと考えさせられた松の内でした。「正月や、冥途の道の、一里塚」と言いながら髑髏を杖の先に掲げて、正月の都大路を托鉢したのが一休禅師ならば、「目出度さも、中くらいなり、おらが春」とか「このやどが、終の棲家か、雪五尺」とは一茶だったか。「我が春は、さほどのこともなし、日暮れぬ」とは茫猿遠吠の愚か者の詠嘆のようです。それにしても、暦の区切りには違いなく、静かな町の佇まいに新しき年の始めをそこはかとなく寿ぐ気持ちになるのは、又一歩、老境に近づいたが故でしょうか。いずれにしても「踏みわけても、踏みわけても、青い山」の心境です。
元旦に賀状の整理をしていたら、下の息子に言われました。「俺達の時代には賀状の山を競うよりも、メールの数を競うだろう」と。私はデジタル指向ではありますが、アナログの捨て難さも大事にしているつもりであり、巧く設定しないと暮れに届いてしまう味気ないメールの賀状よりも墨痕鮮やかな賀状を大事にしたいと思います(大嘘です。私は天下に有名な悪筆で、悪筆であるが故にキーボードが好きなのです)。
とは言いながら、40年以上続いた宛名だけは自分で書くという、私の賀状不文律も遂に昨年暮れには破れてしまいました。住所録ファイルから宛名を印刷する手軽さの誘惑に負けてしまった己を深く反省しています。来年は又、従来の手書きに戻り、悪筆を嘆きつつ、賀状の先の誰彼を思い浮かべつつ、元旦に昼酒を飲みながら賀状を書きたいものと、年頭に当たり決意しています。
長引く不況も独断と偏見から判断すれば、今年は底打ち反転の年になると思います。即ち、裁判所の競売の件数と競落状況や、RC仲間の言葉の端々からボチボチ蛸壺から出ようという経営者の意志を感じます。「茫猿遠望、只管打坐、華酔在夢、春風献上」とは私の今年の賀状です。ただ居座っているのみのボケ猿も遠くに目線を遣るようになり、華に酔い夢に遊んだ昔を懐かしむだけでなく、今度こそ枯淡の境地にて清遊したいものと思います。等と読んで頂ければと存じます。只管打坐とは道元禅師の言葉であり、本来は違う意味ですが、この際些事には拘らないで下さい。
では、春風のお見舞いまで。
(注)昨日の「賀詞あれこれ」一休禅師の項の「森女」とはシンジョと読みます。一休禅師と出会ったとき三十半ばの盲目の女性で、当時の旅芸人或いは白拍子でしょうか。一昨年のNHK大河ドラマでは、壇ふみさんが演じておられました。一休禅師の著「狂雲集」のなかには「吸美人淫水」とか「美人陰有水仙香」と詠じた歌があると、ものの本には記されてあります。
(注)只管打坐は「しかんたざ」と読みます。行住坐臥、只管打坐ということのようです。

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