木鐸たりえるか

8/23付け「弔鐘でなければ」にお声を寄せていただいております。
茫猿遠吠として、お答えしようと存じます。
【K.H氏のEMail】
 正常価格評価とコンサル業務の垣根をきっちりすべきというご意見に
は、基本的に賛成いたします。今まで正常価格に食べさせてもらってき
た、というのも事実ですし。
 ただ、今までそれに守られてきたから擁護すべきなのではなく、正常
価格は守ろうが守るまいが、絶対に必要なものとして存在しつづけるは
ず。だから、それほど正常価格擁護に固執する必要性はないというのが
私の考えです。
 世の中のニーズはどんどん多様化するのですから、どんなことにでも
対応できるようにしておくことがまず第一に大切ではないでしょうか。
 鑑定士である以上、正常価格にこだわるのは当然です。(私も決して
正常価格原理主義者ではありませんが)でもそんな当たり前のことを言
い過ぎると、世間は、「鑑定士は正常価格にばかりこだわっている」と
いうふうに受け止めますから、ここらで柔軟さをみせておく必要があり
ます。
 それがたとえ「迎合」のように見えたとしても、私は構わないと思い
ます。自分たちに自信があればいいのですから。
<茫猿独白>
 一言もありません。貴兄のように、原則を押さえた上での派生と理解
されていれば、何も申し上げることはありません。
 私が危惧するのは、右肩上がりの最盛期に比準価格に偏重し、事情補
正率や時点修正率の把握も甘くなっていたことを忘れて、今また収益価
格に偏重しようとする斯界の気分を不安に思うのです。
公示価格では買えないという声に抗しきれず比準価格に比重を置きすぎ
た斯界が、公示価格では売れないという声に抗しきれず収益価格に傾斜
し過ぎる現状を危うく思うのです。なかでも、「早期売却市場減価」の
意味するところに大きな危惧を抱きます。
 特に、DCF法であれ直接法であれ、収益価格が本質的に内在させて
いる問題点を曖昧にしたままで、収益価格が全てを解決するような論法
の横行は、嘗て歩んだ道を再び辿るような気がするのです。
 「時流に棹さす、敢えて棹を挿す」、「社会の木鐸をめざすという志
を忘れない鑑定士でありたい。」、茫猿の繰り言はそれに尽きます。
その視点からすれば、一斉合唱に危惧感を抱くのです。
 繰り返しますが、収益(賃貸)データの収集は取引データの収集に比較
して整備が遅れている状況や、賃料比準手法の整備、建物データの整備
こそが問われなければならないと考えているのです。
 同時に、1964年基準においては、「求めるべき価格は、正常価格であ
ることを原則として、次の(二)に述べる場合には特殊価格とする。」と
して、特殊価格を求めることができる場合五項の例示がされている。
 1969年基準においては、それらが「特定価格」として「なお書き」に
記されている。当時はこの特定価格は市場を前提としないから本来の価
格とはいえないという解釈であった。
 1990年基準においては、特定価格は一般的市場性を考慮することが適
当でない不動産の経済価値を適正に表示する価格として、三項が例示さ
れている。
 この基準の歴史的変遷が何を意味するのか、改めて真剣に検討する必
要があるのではないかと考えます。正常価格墨守を叫ぶ意図はありませ
ん。しかし、不動産鑑定士の在り方として、社会の要請に適切に応えて
ゆくことは義務であると考えますが、一部市場の要請に諾々と応えてゆ
くことが本当に正しい在り方なのでしょうか、疑問に思います。
 鑑定評価需要がそこにあるから、次々と特定価格評価書発行要件を増
設してゆく姿勢に疑問ありと申し上げたら言い過ぎでしょうか。
 民事再生法も資産流動化法も時価評価も夢想だにされていなかった時
代の鑑定評価基準と、それが現実のものとなった現在の鑑定評価基準が
変化することは当然のことと考えます。しかし、それでも尚、それであ
るからこそ尚、変わるべきものと変わってはならぬものを峻別すること
に意義があると考えます。保守的に過ぎましょうか。
 もう一度繰り返します。
特定価格を前面に打ち出した鑑定評価書の発行に疑問があるのです。
鑑定評価書は正常価格を表記するのが本旨であり、いわゆる特定価格と
称される評価額は付記、願わくば専門家の手による付属意見書・報告書
として発行されるべきものではなかろうかと考えているのです。
 そのことにより、正常価格との差額の有無及びその発生理由を明示す
ることとなり、依頼者の判断指針としてより多くの材料を提供できるも
のとなると考えます。
 依怙地なようですが、特定価格の試算は正常価格の試算過程を踏まえ
てのものであり、民事再生法関連市場においても資産流動化法関連市場
においても、特定価格の一人歩きを許すような評価書がかりそめにも発
行されることの無いことを願うものです。別の云い方をすれば、「特定
価格を鑑定評価書として発行する」ことを求める一部市場の意図に疑念
が拭いきれないのです。

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