軛の消滅と革袋の溶解-3

※投稿転載の最終章です。
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◆第三章 情報の特質と新しいメディア
▼情報の動的価値
 まず、情報価値の特性について考察する。
 ここでは、価値とはそのものが持つ利用時の効用であるという前提のもと、情報の 作成者ではなく、消費者=受け手から見た場合の情報価値について取り扱うものとする。
【情報の特質として】
「定義」
 情報とは、他の情報と結びつくことにより、その効用を利用できるという点が挙げられる。この意味では常に情報の価値とは相対的なものであり続け、一意に定まるものではない。
 また、どのような「他の情報」が、どのような「位置づけ」になっているのかは、 消費者個々人によって全く異なる。音楽に例えてみよう。 ある消費者に対し、モーツァルトのピアノ協奏曲、という情報が与えられたとする。
 このとき、消費者が
・モーツァルトの音楽は素晴らしいという情報を保有している場合と、
・モーツァルトの音楽は全く大したことがない
という情報を保有している場合では、新しくインプットされるモーツァルトの音楽と いう情報価値には、おそらく消費者ごとに大きな差異があることが予想される。情報の価値が動的であるというのはまさにこの点にある。
 極めて単純な行動モデルとしては、
・情報を受け取る。
・既に保有する別の情報との関係性を検証する。
・情報の価値を決定する。
 また、ここでの価値測定には、原則的に情報作成コストは全く考慮されない。
 先に、「希少性の欠如のため、情報はモノと同様の形で市場取引を行いにくい」と主張したが、市場取引を行いにくい原因のもう一つはこの点にある。客観的(ここで は多数が合理的であると認識できるという意味)な消費効用が定めにくく、検証は受け手個々人が行わざるを得ないため、取引コスト自体が高いものになる。
 蛇足ではあるが、企業、とりわけ俗に言う第四次産業においてブランディングが重要なのはこれを理由としているように思える。 多くの消費者に対し、売り物である情報が、客観的な価値があるかのように刷り込むための手段、それがブランディングで あるというのは言葉が過ぎるだろうか。
▼権力の移行
 プライシングという行為について考察してみよう。
 プライシングとは財の価値を貨幣単位に置換する行為であり、多くの場合、市場メカニズムに従って行われる。そして、市場メカニズムの成立要件として、この財の価値が普遍的であるという前提がある。
 既に繰り返し述べているように、情報の価値は動的であるためにこの前提を満たさない。このため、情報プライシングはメディア稀少性に依拠したのである。
 同時に、この主体となったのはメディアの運営者、なかんずくマスメディアである。つまり、情報の価格には消費者の意志が直接的に反映しにくい仕組みになっていた。
 既に言い古された議論であるが、インターネットというメディアはプライシング主体の交代を促す。特に情報分野においては顕著になるだろう。情報の価値が受け手によって異なる以上、その効用を測るという意味合いにおいて、情報の価格は受け手によって決定される方が合理的だからだ。
▼情報縁
 既存の流通チャネルとそのスキームが情報の貨幣価値を決定する能力を喪失した以上、新しいメディアを用意し、そこでの情報検証機能と貨幣価値への換算機能を構築する必要がある。 近年、社会学的な見地より、「情報縁」という概念が提唱されている。簡単に説明すると、
「定義」
 情報縁とは、ある特定の記号に対して強い反応を示す人々の集まりである。
 といえよう。
 情報縁で形成されたコミュニティでは、良い意味で情報の動的価値のぶれが少なくなる。情報縁で結びついた集団は、既に保有する情報も近似する場合が多く、新たにインプットされた情報への閾値も似通った度合いに落ち着くためである。そのため、 ここでの情報検証とその価値付けはうまく機能している。これは情報価値を貨幣価値に置換する場合において、有効なスタビライザーとなる潜在的可能性を秘めている。
 これは情報の動的価値の検証機能を、個々人ではなく、彼らが主体的に関与できる コミュニティに吸収することにほかならない。情報縁コミュニティは単にメディアとしてではなく、それ自体も擬人化された存在として振る舞うのだ。
 インターネット上のコミュニティは、この情報縁概念を極めて効率的に運営できる メディアとして位置づけられる。メディアコストが低いため、そこで流通される価値 は比較的純粋な情報価値に比例している。
 もっとも現状では、ネットコミュニティは情報価値から貨幣への換算チャネルを保 有していない場合が多い。情報流通の面において、インターネットがサブカルチャー 的な臭いを完全に払拭できないのはまさにこの理由による。
 そこで、次項からはネットコミュニティにおける情報検証方法を明示化してみると ともに、そこで採用できそうな貨幣価値への換算方法を検討してみることにする。
▼情報検証チャネル
 多くのネットコミュニティでは、以下のような行動モデルにもとづいた運営が行われている。
ーあるカテゴライズに基づくコミュニティを形成ー
そこでのインタラクティブなコミュニケーションを通じ、作成者の才能そのものの希少性をコミュニティで秩序づける。
 このコミュニティにおいては、作成者と消費者の区別はなく、誰もが作成者や消費者になることが多いため、明確な序列を位置づけしやすい。ただし、この序列はその コミュニティ内部でしか通用しない。
序列に従い、ある作成者が作成した情報も序列づけられる。
 同時にこの序列付けは、作成者がコミュニティに占めるポジションの限界効用に比例する。コミュニティ参加者の有為な能力の合計こそが、情報縁コミュニティの価値 そのものになるともいえる。
 既存のメディアももちろんこれに似た秩序付けを行ってはいるのだが、前述したとおり評価を消費者が直接行うことができないという欠点がある。ばかりでなく、時によっては価値付けに不必要なバイアスを生じさせる、「マーケティング」という怪物が介入しすぎる。
 同時にネットコミュニティでは、従来では価値付けできず流通さえも切り捨てられた細かな情報も、総体的に作成者へ関連づけることにより、作成者自身の価値を上げるという方法によって還元している。これを可能にしたのはおそらく流通コストの低さが大きな要因であろう。
▼貨幣価値への換算チャネル
 次に行うべきは貨幣価値への換算である。
 情報検証機能を持つネットコミュニティは、貨幣価値への換算チャネルとしても適 当ではないか。それはコミュニティの情報検証能力が高いことによる。同時にコミュ ニティは情報価値付けを作成者の序列化によって機能させてもいるからだ。
 ネットコミュニティは多対多のチャネルでもあり、評価が通用する範囲を限定する ことによって、市場メカニズムを取り入れているメディアであるともいえる。これはプライシングを容易にするポイントである。
 このようなポリシーに従って、情報というものが稀少性を前提としたモデルにそもそも馴染まないという問題点を解決していくのがコミュニティにプライシング・チャネルを与えることの意義であろう。
貨幣モデルへの置換は「希少性」にもとづくほか仕方がないのだが、では情報に関連し、その価値を決定づけている因子のうち、「希少性を持つ」因子は何であろうか。結局、「情報を生産することのできる個人」しかない。そして、その個人の才能に応じて、その希少性を算定してやるしかない。作成者に対しての報酬は「作成した情報ごと」ではなく、「才能丸ごと」に対して行うこ とはできないだろうか。
 これはある意味中世システムの再現でもある。中世と大きく異なるのはチャネルが大規模な多対多インタラクティビティーを保有するという点である。
 ここでは、換算基準として挙げられる考え方を列挙してみる。
コミュニティで評価された才能を「資格」として認定する。
「大学卒」「○○資格」という肩書きは、ひとえに保有者の労働単価を上昇させる機能と、保有者の信頼性検証機能を持っている。同様に、これからは「あるコミュニテ ィで高い評価を得る」ということが、労働単価と信頼性を保証できるような仕組み 作成できないだろうか。
コミュニティは、才能と才能に報酬を支払う能力を持つ別セクター(例えば企業など)との仲介者となる。
 この場合、コミュニティは「人材派遣センター」的な役割を持つ。既存の労働者斡旋業と異なるのは、企業側の信頼性検証コストを低減しやすいというメリットが付随的にある点であろうか。この場合、コミュニティはただ場を提供するだけでなく、コ ミュニティ参加者に対してスキルアップの機会を提供することも必要になるであろう。
コミュニティが企業化し、才能に報酬を支払うと同時に支払い能力のあるセクター(例えば企業など)がコミュニティのパトロンとなる。
 これは仲介者モデルに似ているが、報酬支払いのプロセスが異なる。仲介者モデルでは報酬が直接支払いセクターから才能に支払われるのに対し、このモデルではいったんコミュニティが報酬を受け取り、それを才能の評価に応じて配分するという形になる。ここでの問題点としては、コミュニティが才能に報酬を配分する基準を、かなり厳密に定める必要があるという点であろう。
 いずれにせよ、情報価値に対して支払い能力のあるセクターを、いかにしてスキームにインボルブしていくかが重要な目標となる。同時に、コミュニティでの評価が外部評価と換算できるようにするために、「コミュニティ自体の価値」をも高めていく必要がある。
 そのため、コミュニティ生成は、その情報価値が比較的評価されているセグメントから進めていき、スキーム自体への信頼性を高めていくやり方が、最も具現的であろ う。具体的には、コンサルタント、科学者、医師、プログラマ(この領域では、既に Linuxという成功例が存在する)などがあげられる。
 実は近代においても「才能丸ごと」への報酬支払いは行われていた。旧ソ連などの 共産主義圏では、優秀な人間に対しては衣食住を保証するという形をとっていたので ある。もっとも、この場合は対象となる才能の数があまりにも少なすぎるということ、客観的な評価の場があまりにも少なすぎるという問題を抱えていた。本題からは外れるが、共産主義圏で才能のボトムアップが不可能であったのはここに起因していたのではないだろうか。民主主義に基づかないシステムは、コミュニティ自体が機能しないのである。
▼残された課題 具体的な情報の価格
 プライシング・ポリシーは出来上がっても、ではいったい「いくら」支払うのか。 この点も現状では定まったやり方は提唱されていない。この点については、おそらく 「コミュニティ機能の成熟」を待つまで、しばらくは試行錯誤が繰り返されると予想される。今後、この課題に対しては、別途考証を行いたい。
▼残された課題 情報の転売
 結局のところ、情報は複製可能であるという点だけは解決できない。
もちろんこのために、著作権制度を前提にした様々な方法が考案されてはいるが、複製を禁止する ことによる情報流通の阻害デメリットも大きい。
 支払い能力を持つセクターが、如何にして作成者の才能を有効活用し、報酬を払っていくべきなのか。この点についても今後考証を行いたい。
インターネットというメディア
上記の考察は、全て「インターネット」をメディアとして用いることを前提としている。理由は、
・メディアコストが比較的小さく、純粋な情報価値を測定しやすい
・多対多のコミュニティを形成する、現状では最善の手段である。
この2点である。
▼おわりに
 インターネットは、完全とはいえぬまでもかなり理想的な情報縁を結成するための 大きな役割を果たしたし、今後もそれ以上のはたらきを担っていくのだろう。インターネットが革命的であるとするならば、おそらくこの特性こそがそうだ。
 すでに言い古されている台詞ではあるが、情報はかなりの割合でアトム=物質のくびきから解き放たれ、「ビット」の部分だけが拡散する社会になりつつある。もちろん、純粋にアトムの束縛を脱出することは不可能ではあるが、それが無視できるくらいに小さな割合になることは、既に夢物語ではない。
 今回、拙いながらも情報の価値、そして価値付け、流通の考察を行った。既存のメディアを前提にしたやり方で情報を縛ることは、情報の性質との間で根元的な矛盾を起こしている。
 インターネットはその矛盾を多くの人の目にさらし、そして解決を迫った。今後、新たなるパラダイムが構築されていくのか、それとも古い革袋を守り続けるのか。問われているのはその選択である。
「以上 全章終了」

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