陸続と・・・・

【只管打座・・陸続と・・01.09.15】
 大阪小学校児童殺傷事件、明石花火将棋倒し事件、中国自動車
道少女死亡事件、歌舞伎町ビル火災事件、狂牛病死亡牛が飼料に
化けた事件、マイカル更正法申請、まさに陸続と事件が続く。
 一連の事件に水面下でつながる何かがあるのか、ただ偶発的に
引き起こされただけなのか、などと考えるイトマモ与えないで起
きた「同時多発テロ事件」・・・・・・
 繰り返し放映される「WTCビルが崩壊してゆく映像」を見な
がら幾つかのことを考えました。
 湾岸戦争の時と同じように、ライブ映像をビール片手に見てい
るお気楽さ、いわば自分だけ安全な場所にいて映画やドラマと同
じ感覚で、今起きている悲劇を眺めている、その茫猿自身を冷視
しながら考えました。
「報復が報復を生む」
 報復が報復につながる怖さと愚かさ、右の頬を打たれたら左の
頬を出せと云う教訓も、仏陀の慈悲心もどこにいったのか?
 路傍の石にも仏性を感じる者には、狂信的な原理主義も理解で
きないが、熱狂的に報復を叫ぶ世論にも違和感を感じる。
「存在感の希薄さ」
 世界二位の経済大国の存在感の希薄さです。パウエル米国務長
官の記者会見では英国仏国はじめ欧州各国、米州各国、露国、中
国などの国名・職名や個人名が延々と数分間に亘って登場したの
に、ついに最後まで日本国もコイズミもマキコも口の端に登らな
かった。危機に際しては舞台に登場しない東アジアの政治軍事小
国日本であることが幸せなのか不幸なのか、考えてみたがよく判
らない。
「邦人被害者」
 相も変わらず、日本人被害者の有無を追求する虚しさ。
さらっと言えないモノでしょうかね。今の日本には外国人も多い
し在日の人々の問題もある。日本国籍者の安否だけを繰り返すマ
スコミに違和感を感じます。
「火のない処の煙」
 テロを認めることはできない。ましてや無差別テロを容認する
ことなど断じてできない。
 でも、テロに走らざるを得ない絶望的状況に追い込まれた側に
意を用いようとしない虚しさ。情状酌量は言えないにしても。
 およそ陸続きで2千年以上の確執が続く歴史など、渦中にいな
い我々に理解できるはずもないのに理解できると思い上がる虚し
さ。
 ユダヤ王国が滅亡して以来、流浪の民となったユダヤ民族と、
其処に長く居住していながら宗主国の空手形や複雑な国際政治の
渦の中で、今また流浪の民となったパレスチナ民族との確執。
 聖戦を唱えるテロ集団は鬼っ子でしょうが、鬼っ子を生み育て
た国際政治の苛烈さに思いを馳せることが必要なのではないのか。
「居心地の悪さ」
 神風特攻による自爆行為が (動機も、旅客を巻き込んだ点でも、
前戦時下の日本とは大きく異なるが)、50余年を経て再現された
と云われ、真珠湾の再来と米マスコミに書き立てられる居心地の
悪さ。
いつもの蛇足です ———
 前々回発信で、「Samulai商売」と書きました。
申し上げたかったことは、こういうことです。
 世の中に発祥の歴史が古く人の生存に欠かせない大切な仕事に、
農業、漁業、林業、鉱業があり、製造業があります。
次に大切なのは、それらの生産物を流通交換する職業、つまり商
業であり、運輸業である。少なくとも私は常々そう考えています。
士農工商と云いますが、農工商は実業であり、士は寄食渡世の虚
業です。
 そう考えてみれば、不動産鑑定業は鏡に映った虚像のように、
虚業の一面を多く持っている。他者の開発物を、建築物を、取引
や賃貸を、安全な高みからリスクを取ることなく批評家として論
評する職業である。
 無意味とは云わないし、卑下しているわけでも決してない。
だが因果なことに「Samulai商売」は安全確実有利な商売と世間に
喧伝され、受験予備校でも現役学生の中でも人気は高いらしい。
 ヤクザ商売と云えば誤解を招くが、男(女)を売る商売と云って
も誤解を招くだろうか。
以前にも何処かで書いた記憶があるが、国家からライセンスで身
分と業務を保証されている「Samulai商売」は、それだけに果たさ
ねばならない社会との契約義務があるのではなかろうか。
 利を追うなとは云わない。でも社会から与えられた「ライセン
ス」の見返りとして、守らねばならない果たさねばならない「行
動規範」を忘れては為らないと考えるのです。

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