T.O氏への返信(鑑定士の嘆き)

【茫猿遠吠・・T.O氏への返信・・02.01.23】
 本稿は、茫猿が某ML(メーリングリスト)に投稿した文書にRESを頂い
たものへの、再RESです。少しばかり加筆して『鄙からの発信』に掲載
します。
T.O様、
早々と RESを頂いたのに、お返事が今日になってしまいました。
私はまたの名を茫猿とも鄙の堂守とも云う、還暦目前の茫齢鑑定士です。
鄙びた場所でシコシコと、もう30年余も業界に棲息しています。
寄る年波で呆けたゴタクを並べ立てて、多くのML氏の顰蹙をかってば
かりいます。このRESも戯言の羅列ですから適当にお目通し下さい。
「鑑定士の知名度不足を嘆く貴兄へ」
 不動産鑑定士に知名度が無いのは、30年前も今もそんなに変わらな
いと思います。それは、ライセンス商売でありながら、一般市民と接触
する機会が乏しいと云うことに一番原因するでしょう。別の観点からす
れば、クライアントの裾野が大変狭いと云うことになるのでしょう。
 私は今でも知人友人から、測量や登記や仲介を依頼されることがあり
ます。できませんと云いますと怪訝な顔をされること屡々です。
 不動産の専門家を自負する割に、不動産業界での地位が低いのは、自
業自得とも云えます。不動産業界人からすれば、「俺達の取引結果の残
滓でもって、結構な御託宣を並べたてて報酬を毟り取る輩」と見えるの
かもしれません。
 特に国土法施行後、バブル崩壊に至るまでの長い間、彼等にとって望
ましい添付鑑定書を得るのに苦労した不動産業界人の恨みは簡単には消
えないだろうと思います。
 もしかして、彼等が泣かされなかったとすれば、時には嬉し泣きをし
たとすれば、逆に楽屋を知られている弱味は鑑定士側にあるのでしょう。
「鑑定士の忙しさを嘆く貴兄へ」
 都市圏を中心にして、大変多忙な状況があるようです。簡易鑑定とい
うか、物件調査といいますか、超繁忙状況があるように聞いています。
しかし、この繁忙さも落差が大きくて、系列に入っていない鑑定士は超
閑散状況にあるようです。地方圏では三年に一度の固評評価替期に当たっ
て過労死が心配される鑑定士もいるようです。でも、この状況が永続す
る保証は何処にもないと考えています。
「正常価格では売れないと嘆く貴兄へ」
 正常価格論は他で論じられていますから、改めて付け加えることはあ
りませんが、バブル期以前は鑑定士の云う正常価格では買えないと云う
苦情を頻繁に聞きましたから、それ程には驚きません。
 ただ、鑑定制度並びに公示制度が地価上昇の嫡出子であったことは、
歴史上のまぎれもない事実であり、地価下落期或いは地価変動期におい
ては、その身を処すべき方法や位置が未だに見つからないと考えた方が、
判り易いのではないでしょうか。
 もう一つ云わせて頂けば、決して市場を無視するという意味ではなく
て、「バブル期以前の、買えないから買える価格」、「バブル期以後の、
売れないから売れる価格」という振れ幅は市場迎合主義につながる畏れ
が多分にあると考えています。異論も聞こえてきそうですが。
尚、ご存じでしょうが、ご参考までに 1964年当初基準の正常価格定義
を掲載しておきます。
※1964年当初基準
 不動産鑑定士等が不動産の鑑定評価によって求めるべき価格は、正常
価格であることを原則とし、次の(二)に述べる場合には、特殊価格とす
る。
 正常価格とは、不動産が一般の自由市場に相当の期間存在しており、
売手と買手とが十分に市場の事情に通じ、しかも特別な動機をもたない
場合において成立するとみられる適正な価格をいい、不動産鑑定士等は、
まずこの正常価格を求めるように務めるべきである。
「鑑定士の常識と世間の常識の乖離を嘆く貴兄へ」
 公的価格と称されるもの、地価公示、地価調査、相続税路線価、固定
資産税路線価及び標準宅地評価格について、多かれ少なかれ鑑定士の評
価が関与する状況が1994年以降に出現しました。そして、公表される公
示と調査に対して公表相評路線価は80%、公表固評評価額は70%という
状況も固まりました。
「公示価格等からの規準義務」についても、監視区域施行当時に形成さ
れた開差許容範囲の考え方は、鑑定業界等では今でも有効な常識でしょ
う。でも世間の常識であるか否かは別のものと考えます。
 私自身は、公示価格を含めて己の評価額が市場の実態を正しく反映す
る価格であるように務めること以外に道はないと考えています。
しかし、その置かれた状況によっては、公示価格無謬主義・至上主義と
争うのも一つの方法と考えますし、地価公示が鑑定評価の実務標準であ
った時代は、更地イリュージョンの終焉と共に終わりを告げているとも
考えています。 下落期も含めて地価変動期における鑑定評価という生
業(ナリワイ)の行くべき道は、まだ誰も明らかにしていないと考えてい
ます。
「資料収集に投資しない鑑定士を嘆く貴兄へ」
 地価公示で得た資料で半年、地価調査で得た資料で半年過ごせれば、
デカンショ節の世界でしょう。右肩上がりの時代にはそれでも大きな間
違いは無かったかもしれませんが、右肩下がり或いは変動の時代はそう
はゆかないと考えています。
 常時、資料を収集する体制・組織を造って、資料という兵糧こそ鑑定
士の死命を制すると考える仲間が一人でも多くなれば佳いと考えます。
貴兄の云うところの
「基準の改正より前に、宅建業者やビルオーナーに金を払ってでも、
使えるインデックスを作ることが必要だったと感じてます。」
 仰有る通りであり、「必要だった」ではなく「今こそ、必要なのだ」
と考えていますし、そういう事業を起こしたいと周りの仲間を口説いて
います。都市圏と地方圏では状況が違いますから一概には云えませんが、
基本的に零細事務所が生き残る為には共同化、協業化しかないと考えて
います。特に資料収集組織と情報ネットワーク形成への投資が必要不可
欠だと考えます。
 不動産鑑定士という職業は、一面では大変恵まれた職業でありました
が、その恵まれた背景が鑑定士をスポイルし自立を妨げたとも云えるで
しょう。
 鑑定制度発足後直ちに、地価公示制度ができ、時を前後して損失補償
基準要項が制定されて公共事業用地取得関連評価依頼が急増し、以後、
地価調査実施、監視区域添付鑑定実施、相評・固評鑑定の実施等々、最
近の不良債権処理に至るまで、常に神風が吹いてきました。
 これらは業界挙げての運動の成果と云うよりは、時々に吹いた世間の
風が後押しをした結果と見た方がよいと考えています。
 そういった「棚から牡丹餅、三年寝太郎」の世界で生きてきたからこ
そ、官公需の激減、民需の衰退、不動産市場の急変化という状況につい
てゆけなくなっているのでしょう。制度発足後三十数年間、鍛え損ねた
足腰を今からでも鍛錬し直さなければならないと考えています。
 貴兄の問い掛けに対しての答えにはならなかったと思います。
でも急がば回れと云います。資料を自分たちで集めるための足腰の鍛錬
と、資料が公開される時代に備えての頭脳の鍛錬こそが、結局近道なの
ではと考えている茫猿です。

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