ウンコロジー

【只管打座・・ウンコロジー・・02.10.22】
 「京町家でごはんを」という美味しそうな話の次は、ウンコロジーとは出来過ぎている話ですが、食すれば排泄するのが生き物の性(サガ)ですから、順当と云えば此程順当な話はありません。


 ところで、「ウンコロジー」とはウンコとエコロジーを併せた造語です。
しばらく前に、本屋さんで暇つぶしをしていて「ウンコに学べ・有田正光、石村多門共著・ちくま新書316」を見付けました。「ウンコ」というこの頃はあまり「オオピッラに口にしないカタカナ」に目を引かれ、ちくま新書がスカトロジーの本でも出したのかと拾い読みしましたら、全く違っていました。すごく真面目な本であり、雲古について正面から取り上げている本でした。なにせ著者のお二人は東京電機大学の教授と助教授ですから。
※スカトロジー【 scatology】
糞尿や排泄行為を好んで取り上げる趣味・傾向。また、そうした文学。糞尿譚。
 同書の目次を拾ってみますと、
・ウンコの海洋投棄
・水洗便所とぼてふり便所
・下水処理の手品の真相
・史上最強の浄水場-水田
・汚穢屋(おわいや)で持つ江戸の町
・平安レデイーはウンコをしないか
・学校でウンコができない子供たち
・みんなのおかげでウンコができる
 随分と匂い立ちそうなテーマばかりですが、内容は至極真面目で蘊蓄(ウンチク-洒落になるかも)に富むお話ばかりです。
 そもそも生物学的に見て、人間も生き物の一種である以上、食事をとり排泄を行うことは自明のことであり、絶世の美女にとっても逃れられないことです。今昔物語に有名な平中将と本院侍従のオマルをめぐる恋物語も、逃れられないウンコだからこそ、あわれをさそう話に昇華(ウンコであれば消化かも)できたのでしょう。
※今昔物語・・平中将と本院侍従は下記のURLからどうぞ。
 http://matsuyama-ch.esnet.ed.jp/vs/kokugo/konjaku1.htm
 他にもこの物語を解説する多くのサイトがありますから、
 http://www.google.co.jp/ から検索してください。
 文化史的にみて、糞尿を肥料として利用する文化と(現在でも堆肥化して田畑の肥やしに利用する農家もある。トイレと豚小屋が一体化した飼育方法もある。)、利用せずに川や海に投棄する文化があること。
 江戸時代の汲み取り料(業者に支払うのでなく、業者から受け取る糞尿代金)は大名屋敷や富裕町人が高く、牢屋の汲み取り料が安かったこと。糞と尿は分別収集されていたこと。等々、興味深い話が多く語られています。
 環境経済的にいえば、食物連鎖の頂点に位置する人間の排泄する糞尿を工場排水などと併せて下水処理することは、資源の浪費であり、環境への負荷を高めることに他ならないと云えるわけでして、都会の水洗トイレに鎮座して美食の果ての富栄養廃棄物を大量の浄水を消費して流し去る行為は、大いなる無駄と云えましょう。
 数千万人が利用する水洗便所について、せめて糞尿と生活排水のみに限定流下し、産業排水や雨水排水は分離流下するシステムにすれば、環境への負荷も小さく資源の有効活用になるのです。(産業排水は構内浄化が当然のことですが。)
 雨水の有効利用は今後ますます重要な課題になるでしょうし、重金属など無機物が混入しない下水道整備や合併処理浄化槽の導入見直しなど、いたずらに管渠を張り巡らした下水道整備が本当に望ましいのかどうか改めて問い直す必要があるのでしょう。
 新書版165頁の手軽に読める「ウンコに学べ」ですが、取り上げるテーマはとても広く、糞尿の経済価値から、人間心理学、そして環境哲学、子供のいじめ問題にまで言及しています。
 そういえば、戦後しばらくの間は、年末に厠神に鏡餅をお供えした記憶があります。厠には神が宿ると考えていたからでしょう。お供えしたお餅はもちろん、数日後に焼いたか雑煮にしてか食べたはずです。捨てるわけなどありません。人間皆糞袋と喝破した禅僧もおられましたが、糞袋は少し可哀想です。 またまたそういえば、小学校の頃に「お前のようなろくでないしは、人糞製造器だ」と先生に罵られた記憶を思い出しました。今の生徒なら自殺を考えたかも。
 いずれにしても、ウンコの話を Web Site に衒いもなく書ける歳に茫猿もなったことと云うだけにしか過ぎませんが。

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