呑ミュニケーション

 昨今の若者はコミュニケーション不足とか、対人折衝が苦手とか言われるようになって久しい。この頃では、そんなことはない、携帯電話やE-Maillでのコミュニケーションは十分にとれているし、新しいコミュニケーションの在り方が生まれているという擁護論もみられる。


 茫猿の属する岐阜県士協会では先日、二泊三日の研修旅行を行ったが、その際に感じたことを少し述べてみたい。
今回の旅行は二十五周年記念事業の一環ではあるが、士協会公式事業ではなく公認事業として士協会関連団体が主催するものであり、会員有志が参加するものであった。
 参加者は約20名であり、会員過半数には及ばなかったが、まあまあ多数の参加を得たと云ってよかろう。参加費は三割程度が自己負担であり残りは主催団体が負担したものであるから参加への抵抗感は低いはずであるが、連休後の日曜日がかかったことから、他の行事と重なって参加できなかった会員も多いように聞いている。
 そういった事情の中で会長経験者がほぼ全員参加したのは、既に彼等は老境に入っており、毎日が日曜日に近づいている一つの証なのであろうか。
 そんな冗談はともかくとして、今回の旅行は単なる物見遊山ではなく、「伝統的建造物の研修」と「藤沢周平と海坂藩」というテーマによる町おこし見学という明らかな目的を持つ、研修旅行であった。
 実は、岐阜会ではほぼ隔年毎に一泊ないし二泊の研修旅行を行っている。思い出すだけでも、結構各地を訪問しているものです。
・滋賀県長浜市、黒壁町おこし研修(講師:長浜市都計課及び滋賀県士協会)
・博多キャナルシテイ等見学(意見交換:福岡県士協会)
・沖縄意見交換会(講師:沖縄県士協会)
・松本市、古民家再生(講師:降幡廣信先生)
・札幌市、INDEX研修(講師:北海道士協会)
・酒田市、鶴岡市、山居倉庫・海坂藩他(地元ガイドの説明)
 よくもまあ、出かけたものだと思います。
 これらの研修旅行は、主に伝統的工法による木造建築の研修、地元士協会との意見交換・地元士協会主宰事業見学等を目的とするものであるが、実は隠れた大きな目的というか意義がある。
 それは、岐阜を離れて、他所から岐阜を見つめ直してみるということである。岐阜にいて岐阜を見ていても見えないものが、岐阜を離れると見えてくると云うことがある。これは外国ならばなおのことである。
 さらに、岐阜を離れ一泊であれ二泊であれ同じ時間を共有することにより、お互いの意思疎通を滑らかにするという効用があろうと考えている。
 岐阜会も小規模とはいえ、所属会員数も増えたし、年齢差や経験差も広がってきたことである。士協会二十五年史の全てどころか前史も含めれば三十年の鑑定歴を有する会員から三次合格間がない会員まで暦年的差は大きくなっている。(経験年数と鑑定等々能力は必ずしも比例するものではないが)
 組織構成員の様々な意味での量的差が拡大すれば、其処では共有する認識が浅くなったり薄くなったりするから、必然的に意思疎通が上手く行かなくなるものである。それをこういった機会に少しでも是正したいものと考えるのであるが、ことはそうそう簡単ではない。
(以下は岐阜県士協会のみに限った話ではない。ロータリークラブとか、地元自治会なども含めての一般論であるから誤解無きように願いたい。)
一つは宴席風景である。
 確かに、呑ミュニケーションだけが全てではないし、酒席を好まない人も多いであろうが、酒席は非日常的空間の場であり、互いを知るのには良い機会である。少なくとも酒のマナー、食事のマナーを磨く場であろうし、他人の振りを見て我が振りを正すに良い場である。
 先輩の酒品を見定める良い機会であるし、酒を媒介にして先輩と語る機会ともなろうが、自分の席を一向に離れようとしない人達が多くなったことだ。目の前の膳をさっさと胃袋に片づけて、後は手持ち無沙汰に過ごし、暫くすると座を空けてしまう。会話を弾ませるでなく、酒をつぐでなく、茫猿からみれば何のための宴席かと思ってしまうことである。(宴席は餌場ではない)
もう一つは、先輩にものを尋ねようとしないことである。
 先輩だからといって、多くの知識や経験を有していると決まったわけではないが、多くの場合に先輩は話したがりやである。(先輩面をしたがるもの)木造建築とか、名所旧跡の故事来歴などというものは、やはり生きた年数がものを云うわけであり、先輩の方が知識経験が豊富なことが多い。 仮にそうでなくとも、先輩に聞くことから会話が始まり、何某かを得ることができようというものである。
 だが、しないのである。
話がずれるかもしれないし、飛躍なのかもしれないが、座学偏重という気がしてならない。現場主義を等閑にするように見えてならならい。コンピュータスキルとかDCFとかには強いのであろうが、温故知新とか伝統とか気風といったものについて、距離をおこうとするように見えるのである。
・・・・・・・・・・・・閑話休題・・・・・・・・・・・・
 こういったことを、クドクドと言うようになると齢なのでしょう。
随分と説教じみているし、ひょっとすると酒をつぎに来ない後輩への嫌味であろうし、ものを尋ねようとしない、つまりは茫猿にエエ格好をさせてくれない後輩へのツラミなのかもしれません。
 いえいえ、そういった諸々へのボヤキです。
馬齢を重ねると云うことは、必然的に残りの人生が僅かになると云うことですし、社会の中心から外縁へ外縁へと押しやられてゆくことでもあります。
その寂寥感は、その年齢にならなければ判らないものでしょう。
茫猿にしても、還暦の寂寥は理解しても傘寿の寂寥は埒外です。
 今回の記念式典で最も好評であったのは、物故者の追悼式でした。
物故者の生前の写真をスライド化上映し、故人をよく知る会員が追悼文を書いて朗読するという行事でした。
 でも、よくよく思い出してみますと、平均寿命に近い方ほど評価が高かったようで、若い方は殆ど評価されなかったように記憶します。
 ことほど左様に、この世のことは、その場に、その人に、成り代わって考えるというのは難しいことであり、他人事を我が事と考えることなど夢のまた夢ということなのでしょう。
 その意味で、各種の事業であれ研修旅行であれ、行事を企画し推進する部署の立場に立って考えるという気風が随分と薄れているように感じるのは、やはり加齢者の僻みなのでしょうかね。

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