無関心という無明の闇

 個人情報保護法について、iNetで調べているうちに、感銘を受ける言葉に出会いました。とても美しい言葉です。

愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。
美の対極にあるのは醜さではない。無関心である。
知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心である。
平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。
生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である。
(エリ・ヴィーゼル「ふたつの世界大戦を超えて」

※掲出Web Site 「Academia e-Network Project」
http://ac-net.org/item/12


 このサイトには「個人情報保護法の諸問題」と題して、多くの記事が掲載されています。是非ともお読みになることを勧めます。
http://ac-net.org/kjh/index.php
『無関心という無明の闇』(茫猿)
・愛の孤独を知るのは憎しみからではない、無関心からである。
・美の悲しみもまた、無関心から生まれる。
・路傍に咲く花も見つめれば、笑顔で応える。
・関心を持つ無知に救いはあるが、知への無関心は無明の闇である。
・戦争に至る道に無関心であることが、平和を崩してゆく。
・生きることは死への道筋である、其処に関心が無ければ生きる意味がない。

※上記のサイトより、城山三郎氏の記事を引用転載します。
この記事の内容を正しく理解することが、鑑定業界に降りかかっている「個人情報保護ガイドライン」問題を正しく理解する道につながります。
2003-04-26 毎日2003.4.25 城山三郎さん「一種のごまかしだ」
 個人情報保護法案の衆院特別委員会可決について、作家の城山三郎さんは25日、次のように語った。

 小泉純一郎首相は個人情報保護法案を抜本的に見直すということを話していたが、残念ながら程遠い内容だった。新法案は、フリーライターや著述業も義務規定の適用除外とするなど入り口は広く開けた。しかし、フリーの主な執筆の場である雑誌を発行する出版社を明記しなかった。これでは、出口である発表の場が制約を受けるので、何も変わっていないのと同じだ。抜本的な見直しとは言えない。
 自由に調べてよいが、発表できないというのは、一種のペテンであり、ごまかしだ。雑誌と新聞を分断しようという作戦に違いない。官僚というのは悪知恵を持っているものだ。
 また、政治家である主務大臣が(報道や著述かどうかを)判断するというのも問題だ。自分たちへの批判を、自分たちで(適法かどうかを)判断できる仕組みはおかしい。政府は第三者機関の設置にはカネがかかると言っているが、言論の自由の問題はカネと絡めるべきでない。無駄な組織はほかにいくらでもあるだろう。
 小泉さんは国家、国民を思う信頼できる政治家だと初めは思った。しかし、スキャンダルを暴き立てられ、週刊誌にうらみを持つ有力者に首相にしてもらったことの私情から抜本的な見直しができなかったのだとしたら国民への裏切りだと思う。(毎日新聞)

※同じく、日弁連意見書もお読み下さい。
Subject: 03-01-31
個人情報の保護に関する法律案の修正案に対する意見書
2003年1月31日  日本弁護士連合会
http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/sytyou/iken/03/2003_04.html

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