遊就館

『戦場に赴く時、戦場に在る時、誰も死を望まない。だが、誰かが死ぬのが戦場であり、戦争である。』
 先の記事にもふれたが、11/29靖国神社遊就館を拝観してきたのである。遊就館とは靖国神社に付属する展示施設である。靖国神社の来歴を始めとして靖国神社の何たるかを知る上で大きな手がかりになる施設である。靖国神社を語る時には、何かと話題になる軍事博物館である。
「遊就館の設立目的」(パンフレットより)
明治15年我が国最初で最古の軍事博物館として開館した遊就館は、時にその姿を変えながらも一貫したものがあります。一つは殉国の英霊を慰霊顕彰することであり、一つは近代史の真実を明らかにすることです。
近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館のもつ使命であります。
「遊就館の名前の由来」
中国、戦国時代の儒者筍況の著「荀子・勧学篇」より出典
君子居必郷擇遊必就士・・・君子ハ居ルニ必ズ郷ヲ擇ビ、遊ブニ必ズ士ニ就ク」


 遊就館には明治維新以後の日本が関わった戦争について、説明展示されている。西南の役、日清戦争、日露戦争、シナ事変、大東亜戦争・・・・・・・、考えてみれば明治維新以後、内乱である西南の役を除けば、国内で異国の侵攻を迎え撃ったという戦いは無いのであり、撃って出た戦いが全てである。
沖縄戦は内地戦であるが、撃って出た後に攻め込まれた結果である。 
 遊就館の案内パンフレットが語ることは、靖国神社の考えであり靖国神社を信奉する人々の考えと云ってもよかろう。パンフレットは云う。
遊就館の目的(即ち靖国神社の存在意義)は、一つは英霊の慰霊と顕彰である。もう一つは、近代史の真実即ち、日本の自存自衛のための戦いの歴史を明らかにすることである。
 茫猿は英霊の慰霊には何の異論もないが、顕彰には疑念が残るのである。戦死者戦病死者の顕彰はイクサの正当化につながるものであり、自存自衛のイクサであったと云うからには顕彰も当然の帰結であろうが、歴史的事実となってしまった日清・日露戦争はともかくとして、満州事変以後の戦いを自存自衛の戦と評価するには疑念が残るのである。
 英霊の顕彰がイクサの正当化に留まるだけでも問題が多いが、将来のイクサの正当化を意識するものであるとすれば、或いは将来のイクサに国民を駆り立てる方策の一つであるとすれば、見過ごすわけにはゆかないのである。
 正義などと云うものは時とともに変化するものであり、時の為政者は常に正義とか大義を掲げて戦いを主導するのである。そしてそれらは「勝てば官軍」という結果になるのである。最も最新の日本自衛隊(軍)海外派兵に係わるイラク戦争を見れば、存在したはずの大義が雲散霧消したことも二転三転したことも、いずれ後世が評価するであろう。
 靖国神社では異次元空間の雰囲気を濃厚に感じるのである。濃厚な異次元空間の空気は、遊就館1階・靖国の神々の部屋に飾られる数多くの遺影が放つものである。同じような異次元空間の空気を以前にも感じた経験がある。それは、一つは鹿児島県、知覧の特攻平和会館であり、もう一つは沖縄県糸満市にある「ひめゆり平和祈念資料館」である。
 知覧では特攻出撃で散華した若者達の遺影が飾られてあり、糸満ではひめゆり隊として戦場に投げ込まれた若者達の遺影が飾られてある。
凛々しく爽やかな遺影の前に立てば、目頭が篤くなるのであり、成人さえも迎えずに戦場に散った若者達に、どのようにして応えれば佳いのであろうかと真摯に考えさせられるのである。
 靖国神社遊就館でも、多くの若くして亡くなった方々の遺影の前に立った時、同じような感慨に耽ったことである。そして改めて知覧とひめゆりと靖国を考えるべきと思うのである。
 誰も死なない戦争などあるわけもなく、戦場と非戦場が区別されない近代戦では戦闘員と非戦闘員の別なく、死に向き合うのである。戦争というものが日常的な死であるとすれば、誰がそれを望むと云うのか。まして非合理に不合理に戦場に在ることを余儀なくされるのを誰が望むと云うのか。

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