二十四の瞳

 寅さん全48作BS放映の後半が8月初めから始まったことから、時々はその他の映画放映も録画して見ている。先日は「二十四の瞳」を録画しておき、実に50年ぶりに見ました。制作された54年当時は小学校の講堂で見たのだろうと思いますが、50余年を経て画面は劣化しておりコントラストがぼやけ雨降り状態でした。でもモノトーンであればこそ桜の景色も菜の花も海の色も鮮やかに蘇るような気がします。


 何よりもとても新鮮に見えたのは、笠智衆、浦辺粂子、などの脇役陣です。田村高広も月丘夢路もとても若いのです。笠智衆のセリフ回しは、修行前の若い午前様みたいでした。
寅さんの山田洋次監督は松竹大船路線の正当な継承者であるから当然とは云え、御前様の演技につながる笠智衆を通じて寅さんを感じさせられます。

夏川静江、浦辺粂子、清川虹子、浪速千栄子と並べば、よくも芸達者を揃えたものよと驚きます。浦辺粂子と笠智衆の夫婦役なんて今からすれば垂涎のキャスティングでしょう。浪花千栄子は、この頃NHKラジオで花菱アチャコと共演していた「お父さんはお人好し」で、その声が今も耳に残っている。あの明るく歯切れの良い大阪弁が、この映画では役柄とはいえ意地悪く聞こえるのも妙なのである。

岬の分教場・男先生役の笠智衆、その妻の浦辺粂子です。この映画で素晴らしいのは子役の見事さです。二十四の瞳役:12人の個性的な顔立ちとその目の輝きがとても鮮やかで美しいのです。

岬の分教場から本村まで海沿いの道を自転車で行く大石先生を見ていると、戦後も高価だった自転車を思い出します。茫猿が記憶する50年代前半の三種の神器は「自転車」、「ラジオ」それに「リアカー」だったか、それとも「電気ごたつ」だったか。戦後に教壇に復帰した大石先生に教え子から贈られた自転車が床の間に飾られる様子もよくよくわかるのです。何よりも自転車やラジオが貴重品だった時代を知る世代が今や少数派になってしまい、戦前日本の貧しさという二十四の瞳の重要な背景も解説が要るようになったようです。

高峰秀子扮する大石先生と十二人の教え子達です。(劇中1929年)
それから十七年後(1946年)に再会した時には、男子5名の内3名は戦死、1名は戦傷による失明、女子7名の内1名は肺病により死亡、1名は親に売られて行方不明という、フィクションとは云え過酷な結末に至るのです。またその結末もあちこちの農村に生じたであろう現実と大差ないといえるのです。

 その後、1987年にリメイクされた時のセットが小豆島に「二十四の瞳・映画村」として残されているようである。近くに縁者も居ることだし近々訪ねてみたいと思っている。(※出演者の多くは故人でもあり敬称をつけるべきか否か迷ったが、全て敬称は略している。) 二十四の瞳アラスジはこちらへ。

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