柳ヶ瀬暮色

 昨日(06.12.28)ちょいとした野暮用があって歳末の柳ヶ瀬に出向きました。常なら車で行き車で帰ってくるのですが、歳末の柳ヶ瀬を眺めてみようと思い立ちカメラ持参で歩いてきました。地価公示の最終作業に追われる年末に柳ヶ瀬を散歩するなどというのは随分久しぶりのことです。


 柳ヶ瀬アーケード街の西入口、美川憲一の柳ヶ瀬ブルースが一世を風靡したのは、もう40年も前のことです。

当時の柳ヶ瀬の歳末は真っ直ぐ歩くことなどできなかった。今や閑散として迎春の垂れ幕も侘びしい。それもこれも市街地の東西南北四方角に郊外型複合商業施設が次々と立地した結果である。識者によれば完全なオーバーストア状態で、店舗面積と見込み客数からすれば50%超とも100%超過とも云われている。
 柳ヶ瀬本通りの地価公示「岐阜5-1・322,000(06.1.1)」です。この地点が最高値を公示したのは1991年520万円(対前年比+30.7%)、実に現在地価の16倍です。
 お定まりのシャッター街です。この暮れはまた増えた感じで、本通りにも見られるようになりました。地方の疲弊を象徴します。
 単価千円前後の商品を道路に陳列する店が多いのも柳ヶ瀬の特徴です。昔、アーケードの撤廃を商店街関係者に提案したら、「雨降りに困る」という商店主の反対が多くて実現できないと云う答えがあったことを思い出します。
 徹明町交差点という、市電が走っていた頃は岐阜の市電ターミナルだった場所に名鉄メルサというテナントビルがありますが、そのオープンスペースで野菜の露天売りが恒常的に行われています。侘びしさを通り越して哀しい景色です。同時にこの光景は居住者の高齢化が進む岐阜市中心部から、生鮮食品を扱う店舗が激減したことの反映とも云える。

 名古屋駅前と対比しても詮無いことですが、トヨタ効果で地価も上昇し意気挙がる名古屋と比べてあまりの惨めさに涙します。そしてついつい思います「おごるトヨタは久しからず」と。
 でも地価が三割上昇しても監視区域の話もなく、DCF収益価格一辺倒、取引事例は更地地上げ関連、複合不動産は中味不詳という現実を垣間見れば、ついしばらく前を思い出します。
 バブル期に「皆で渡れば怖くない」と無批判に地価高騰に迎合した過去を思い出そうともしない訳で、REITなど証券化投資に流される鑑定士を危うく思うのです。十年一昔と云いますが、バブルは二昔前のこと、当時の最前線にいた鑑定士の多くは現役を引退しつつあるようです。もはやバブル後ではないと云われて、地価は来年どこまで流されることやら。

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