学力低下の背景

  学力低下が騒がれて、安倍内閣の目玉は教育再生会議だそうである。
山谷えり子担当内閣補佐官も伊吹文明文科相も何となく怪しげで、とても教育再生を謳うに相応しいとは思えないのだが、それを云えば美しい國造りなのか破壊なのか判らない安倍内閣のことだからサモアリナンという処か。 ところで、学力低下問題であまり語られないことのなかに真実が隠れてはいないかとチョイト調べてみた。


 iNetはこう云う時にとても便利なので、直ぐにほしいデータが好ましい形で探し当てられるのである。東京都私立中高校協会が運営している「東京私学ドットコム」というサイトにほしいデータがアップされている。しかもグラフ化されている。

 どういうことかと云うと、東京都の中学校数はその約22%が私立である。生徒数で云えば26%が私立中学生なのである。つまり4人に1人は私学に通学しているのが東京の現実である。(ちなみに私立小学校数が56校、生徒数26千人強である。)
 東京というところは様々な意味で日本の縮図であり、良い場合も悪い場合もその影響や現象が最も尖鋭に現れるのが東京なのだと日頃から考えている。教室破壊とか荒れる学校とか学力低下、給食費未納といったこの頃のマスコミを騒がせている問題はどこにその原因があるのだろうと考えてみたのである。そうしたら、予期以上に明瞭な答えが示されたのである。この私立・公立中学生徒数比率の十年前十五年前数値が不明であるから断定的なことは云えないが、中学受験や私立中高一貫教育が話題になるのと時期を同じくして公立中学教育現場の荒廃がいわれるようになったと記憶するのである。
 茫猿の子ども達が中学高校を過ごしたのは、もう十年以上前のことであるが、その頃に地方でも私立中学の開校が幾つか話題になった。また今も記憶に残る当時の教師の言葉がある。「中高一貫でキッチリと教えますから塾通いは不要です、むしろ弊害があります。」というのである。生徒の能力に応じた大学進学を前提にした言葉なのであるが、聞いた時は当時の私よりも若い教師だが随分と自信家だなと思ったのである。しかし暫くして、徐々に結果がでてきたし、最終結果も親としては(表現の善し悪しは別にして)納得できるものであった。
 コストパフォーマンス的に云えば、諸々の学校納付金は公立に比較して相当に高額であったと記憶するが、塾通い無し、予備校通い無し、浪人生活無し、並びに最終結果と云うトータルコストを考えるとまあまあのパフォーマンスではなかったかと思うのである。何よりも「家中に浪人生が居る」という世間で云うところの色々な思いを味あわずに済んだというのが一番大きかったように思い出すのである。
 長々と何を云いたいかというと、それから十年以上も経過し、今や少子化時代に直面している私立中学は当時よりさらに充実した教育を施しているだろうと想像するのである。先に少しふれたように私学は公立より当然多くの学費が必要である。公立より多額になる学費を用意し受験を乗り越えて私立中学に通うということは、当然のことながら親をはじめ家庭の学習意欲は高いと云ってよいであろうし、中学生本人の学習意欲も高いであろうとみるのが相当だろう。
 ここから先は少しばかり嫌な、誤解を招きかねない表現になる。だからマスコミも文科省も承知していてもあまり触れたがらないのであろう。賢明な読者はもうお判りであろうが、高額の学費支払い能力があり学習意欲の高い25%強の生徒は私立中学に通っている。この少子化の時代であるから私立中学の方では学校の評判を高めるに必至であろう。何しろうかうかしていたら学校倒産しかねないのである。 教師たる者、講義能力を向上させるだけでなく、生徒の落ち零れを少なくし意欲を高める努力を怠ることはないであろう。毎春毎に結果が示される訳だから企業決算報告と同じである。
 さて、平均値として意欲が高いであろう25%が抜けた75%はどうなるだろうか、家計の負担能力から私学を選択できなかった生徒のなかに優秀な者は多いだろうし、12歳である種能力以外のセレクションを味わっただけに努力指向性はより高いであろうと推量できる。
 でも問題はどのような種類の統計値にも云える上位10%下位10%というセオリーの存在である。つまり小学校を卒業した者の内、学習意欲が高い上位10%の多くは私学に通って居るであろう。意欲の低い下位10%の大半は公立中学に通っているだろうと考えるのが妥当であろう。
 ここに何が生じてくるのかと云えば、学習意欲が高い上位10%を中心とする25%私学組と下位10%の大半を引き受けている75%公立組の学力格差はどのような方向に向かって行くであろうかということである。金八先生が居るのはTVのなかだけであり、現実はグレシャムの法則や朱交赤の法則が罷り通っているのではなかろうか。であれば、安倍内閣が云う近年の学力低下も学力格差拡大も頷けるのである。
 努力すれば報われるとか苦学生が身近にいた時代ははるか歴史の彼方に近くなり、親の平均年収で東大生が上位にランクされる時代なのである。
地獄の沙汰も金次第というが、学力向上も進学率も家計の負担応力次第ということであり、しかも格差は開きつつあるというのが実態なのではなかろうか。以前にデジタルデバイドは所得格差と比例するという話を記事にした記憶がある。この状況を解決するにはどうすればよいのか、手っ取り早い処方箋は見つからないであろうが、私立中学生徒数と公立中学生徒数の比率が今や1対3であることは、教育現場の状況を語るときに無視できない対比数値として直視する必要があるのではなかろうか。
 ところで断っておきますが、私学特に私立中高一貫校を手放しで礼賛しているわけでhない。実は私学は手に負えないと見たら放校退学処分を行うに躊躇しないところがある。中学の場合は「公立へどうぞお戻り下さい」という無責任というか、ある種内部経済外部不経済的なところがある。それが今の教育問題に微妙な陰翳を作っているようにも思えるのである。

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