老いるということ

 書籍の紹介である。
「老いるということ」 黒井千次著、講談社現代新書
 著者自身が1932年生まれで、刊行時74歳である。ギリシャ神話、古代ローマのキケロ、フォースター、楢山節考、ドライビング・ミス・デイジー、幸田文、耕治人、芥川、太宰、伊藤整などの著作を引用して「老いるということ」を語っている新書である。


 なかで印象に残った一節を引用する。

 用心深く実際的で誤りはないにしても、ただ老いの道に従順に身を委ねるだけの老後より、たとえ行く手に苦労の待ち構えているのがわかっていたとしても、とにかく今の生活を充実させることに全力をふり絞る生き方の方が人間らしいのではないでしょうか。  【P130より引用:八月の鯨】

 もう一個所引用します。

 老いが穏やかで幸せな時間であることは誰もが願うに違いない。しかも先で待つ死のことは別にしても、その前段階として様々な病が老い行く身体や精神を待ち構えています。老いるとはその谷を越えて行くことに他なりません。あるいは、死より更に辛い状態が襲いかかって来ないとも限らない。  【P145より引用:耕治人】

 老後すなわち「老いの後」という事象は実体として存在しないのであり、老いているということは生き続けていることに他ならないのである。確実に先に待つ死のみを思い煩って日々を生きるのも「老い」であるならば、今を実りあるものとして生き抜こうとする「老い」もあるのだと著者は説いているように思います。
 厚生労働省が毎年公表する簡易生命表によれば、2005年現在で男性は78.5歳、女性は85.5歳に達しています。この平均余命は2005年に生まれた零歳児の平均寿命なのである。
当然のことながら、各年齢毎の平均余命も計算されているのである。
・ 65歳平均余命・男性:18.1歳、女性:23.2歳
・ 80歳平均余命・男性: 8.2歳、女性:11.1歳
・ 90歳平均余命・男性: 4.2歳、女性: 5.6歳
・100歳平均余命・男性: 2.2歳、女性: 2.8歳
 いずれも前年(2004年)よりも若干短くなっており、長寿日本もようやくピークに差し掛かったといえるのかもしれない。興味深いのは零歳年齢の余命では7歳の開くがあった男女差も年々縮まって100歳では殆ど変わりなくなると云うことである。生物学的淘汰の嵐を潜り抜けた歴戦の勇者となれば男女差は無くなると云うことであろうか。
 この各年代の平均余命というものや随分と長くなった老年期をどのように考えたら良いのかが、これからの課題であろうが、茫猿はこのようにも思えるのである。
つまり、人生五十年と云っていた時代は、幼年期15年、青年期15年、壮年期15年、老年期5年で計50年、今や幼年期20年、青年期25年、壮年期25年、老年期10年と考えたらよいのではなかろうか。つまり老齢者とカウントされるのは、「70歳以後」であり、「老後」とは80歳以後のことである。
 何事に付けて低年齢化や幼児化或いは大人に成りきれないというわれる昨今の世相にピッタリ当てはまるのではなかろうか。
 【成長できないとか、モラトリアム延長という情け無い一面でもあるのだけれど】 だから幼年期30年、青年期20年、壮年期20年、老年期10年と考える方が正解なのかもしれない。
 老いることに型が存在したローマのカトーの時代、楢山節考の時代、ドライビング・ミス・デイジーの時代に対して、型が消滅しいつ果てるとも知れない老いが進行し続ける現代においては「老いるということ」に明解な解答は未だ得られないのである。(いいや、茫猿の年齢では断定などはできない、未だに得られないのであろうとしか云えないのである。)

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