語り継ぐ難しさ

 三編続けて、政治色の濃い記事をアップした。『鄙からの発信』に政治的記事を掲載するのは結構気を遣うものである。私的な、極々私的なブログであるのだから、何を書いても構わないとは云うものの、元々が鑑定評価と身辺雑記中心のブログであるから政治色の濃い記事が多くなればノンポリ指向性の高い読者を失う可能性も高いのである。


 勿論、鑑定士とて市民である。茫猿は常々、鑑定士である前に市民であれと主張してきた。だから政治的課題を避けて通ることは本来許されないと考える。同時に、鑑定評価なるものが人間の生活と活動の基盤である「不動産・土地&建物」をテーマとする以上は、その在り様の根幹を規定する社会への関心というものを等閑にしては成り立ち得ないと考える。
 すなわち、政治、経済、社会という基礎、基盤、原則というものの指向する方向についての「不動産鑑定士自らの立つ位置とか目線」というものを、折にふれ確認することが重要と考えるのである。平たくいえば「鑑定バカ」にはなりたくないということであろうか。そういった意識なく鑑定評価を行っていると「只の値踏み屋」になってしまうと自戒するのである。
「本日はこれまでにして、あとは紫陽花鑑賞とする。あじさいの花言葉は移り気だと云うが、『辛抱強い愛』とも云うようである。」  考えてみれば、花から花へと移りゆくというのも結構な努力が必要なのであり、同じ花にずっと留まるというのは只の怠惰とかモノグサという場合も多いのである。

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