07/06/16は横浜元町に出向いたのであるが、ふと思い立って新幹線を小田原で下車した。乗車した岐阜羽島止まりの「ひかり」が、新横浜の手前で小田原にも停車するのが「ふと思い立たせた理由」なのである。小田原から「箱根登山鉄道・あじさい路線」ブラリ旅を考えたのである。
ところが、小田原駅で下車する客の多いこと、中高年カップルを中心にしてハイキング雰囲気客の多さに箱根登山鉄道は早々と諦めたのである。だいたいが、大勢の人が逝くところが好きでない。「人皆横行、我独直行」というタイプである。まして珍しくもない気儘な独り旅である。鎌倉明月院も御同様であるが人混みに喘いでいる紫陽花を見たとて何になろう。紫陽花などというモノは雨の日に一人閑かに眺めるモノと決まっている。
と、ただ単に人混みに押されて歩くのや満員電車が嫌いなだけであるが、それなりに嘯くわけを探した上で、急遽小田原駅から大雄山鉄道に乗車することに決めた。なに、これとても小田原駅の観光ポスターに「あじさい参道」とあっただけのことである。あじさいのごとく移り気な茫猿なのである。
大雄山線とは、小田原駅と南足柄市・道了尊最乗寺への参拝順路大雄山駅を結ぶ伊豆箱根鉄道の延長10キロ弱の路線である。私鉄ミニ路線にしては便数も多く車輌も新しい。それは多分、沿線の住宅地化と富士フイルムなどの企業立地のせいであろう。
足柄金時山の麓駅に相応しく、
金太郎像が迎える大雄山駅。
駅改札口から到着フォームを見る。
大雄山・道了尊最乗寺への参道、
両側には杉苗や冥加金の寄進記念碑が処狭しと林立する。
寄進記念碑の一つ、
参百円が時代(大正8年)を物語るが、
朱は最近入れ直したみたいである。
同じ、寄進記念碑でも百万円はさすがに別格の趣がある。
現代ならば一億円に匹敵するのだろうか。
石碑の建立だけでも数百万円では無理だろう。
ポスターの惹句ほどではなかったが、
杉木立とあじさい参道である。
何やらきな臭い昨今の世相を背景に眺めれば、感慨もひとしをな「富国徴兵保険相互会社」が寄進する大灯籠である。徴兵保険とは戦前、被保険者が軍に入隊したときなどに保険金を払う、今風に云えば学資保険に近い内容の保険である。
寄進者名に昭和11年、
根津嘉一郎(富国徴兵保険相互会社創業者)とある。
確認はしていないが、同富国徴兵保険相互会社から、
靖国神社にも寄進されているという一対の大灯籠である。
大雄山駅前で遅い昼食をと思い駅前の大雄山はつ花蕎麦という店を覗いたら満席であった。ほかに何かと思いながら見渡すと、小さな案内立て看板が目に入った。その看板の「手打ち二八蕎麦」という惹句に誘われて、表通りから入った簡素なたたずまいの蕎麦屋・相模庵に入った。うどんも商っているとのことだし、ローカル駅の裏通りのこと、たいして期待もせずに「穴子天ざる」を注文した。
期待しなかったし、遅い昼食ということを差し引いても、水準以上であった。先ず、蕎麦がよい、うち加減、ゆで加減ともに水準以上、穴子天麩羅の揚げ加減が素晴らしい。衣はカリッとなかはふわふわサクサク、そば湯も濃くあまい、以上85点である。減点は、そば汁がやや甘いので5点減点、店の設え(シツラエ)に努力が足りないことで10点減点である。 さらになんと、食べ逃した「はつ花」も、ネットで見る限りは出来物のようだ。
見ただけの小田急ロマンスカー、
乗れば新宿のネオンも近い。
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