ふたまの沖から外川まで

 タイトルは銚子大漁節に「二つとせ ふたまの沖から外川(とがわ)まで つづいてより来る大いわし この大漁船」と唄われた一節である。07/06/17はその外川に居ました。経営者の横領事件で破産寸前の憂き目にあい、銚子産の醤油を使った濡れ煎餅で息をついているという銚子電鉄外川線に乗車する旅です。


唐突ですがチョイとしたレイアウトの関係で、
お目当ての銚電マッチ箱です。

 東京からは総武線特急「しおさい」ですが、東京駅でこの列車に乗るまでが一苦労でした。箱根登山鉄道乗車を中止して、急遽銚子行きに切り替えたわけですが、関東も東京以東となるとさすがに茫猿は不案内です。銚子方面ならば外房線でよかろうと軽く考えたのが間違いのもと、エライ目に遭いました。京葉外房線乗り場は八重洲口付近から大深度地下、総武線は反対側丸之内口付近からやはり大深度地下というわけで、外房線乗り場に着いてから確認したら元に戻ってまた地下へという降りたり昇ったりの繰り返しでした。 後からよくよく調べたら外房線から東金線乗り継ぎというコースもあったようで、東京駅構内で総武線銚子行き特急しおさいを二時間近く待つ必要は無かったみたいです。だいいち横浜から旅立ったのですから、横須賀線経由、錦糸町か千葉乗り換えで行けば、悠々十時前には銚子到着だったでしょうに。ようやくのことに銚子駅に到着した総武線特急しおさい5号(13:54着)です。

しおさいを降りて跨線橋を渡ると銚子鉄道のフォームです。
アーチの先に小さく赤い塗装の電車が見えます。

 冒頭の写真を逆方向に、進行方向(外川)から電車越しに銚子駅を見る。玩具みたいに小さくて可愛らしいが、アチコチに錆が浮いているのを見れば、破産寸前廃線寸前の山をまだまだ越えきっていないのがうかがわれる。

仲町駅車庫、赤い電車の間に小さく見えるのがデキ3電気機関車。

本銚子駅付近は線路の両側に植え込みが迫って、
さながら林間鉄道の趣である。
あじさいの花が満開であった。

駅のベンチ広告もお国柄を表していて、醤油メーカーばかりである。

犬吠駅のフォームに外川方面から入線してくる上り電車である。
左手カーブミラーに撮影者・茫猿が映っている。

南欧の雰囲気があるといわれる犬吠駅構内である。
よくよく見れば、殆どロケ用のセットハリボテみたいである。

 終点、外川駅である。多くの観光客は一つ手前の犬吠駅で下車するから、ここまで乗車する客は僅かである。僅かな客も駅前に待ち受ける迎えの車(グループの一人が運転役をかってでているものと思われる。)に、そそくさと乗車して消えてしまう。多分、犬吠埼方面に行くのであろう。夏至も近く照りつける明るい陽射しの中で、これ以上は鄙び様もない外川駅前である。錆びた古い駐車場案内板さえも、もの悲しいのである。

 
 終点、外川駅で下車した数少ない客の一人、茫猿はあてもなく駅のさらに東方向、外川漁港方面に歩き出すのである。港の方に向かってなだらかに傾斜する細い道を降りてゆくと、道の先の家並み越しに海が見えるのである。昼下がりの漁港は閑かなモノで人っ子一人いない。さてどうするとしばし考えたあげく、犬吠埼までの一駅区間を浜沿いの道を歩こうと決めて踏み出すと、目線の先に入ってきたのがこの民宿・地魚料理「いたこ丸」である。

 特急のなかで駅弁を食していなければと考えても、後悔先に立たずである。この時確か二時半頃、空腹を堪えていれば地魚オンパレード&お酒の至福の時間が待っていたのである。とはいってみても一人旅だから、そんな宴会などできっこないのだけれど。刺身は、金目、鰺、本白魚、鰈の四種盛りである。

 腹拵えの後はほろ酔い気分で、
外川から犬吠埼まで約5キロの道を、
浜沿いに歩いてゆくと、灯台が見える。

角を曲がるとまた近く見える。

東映映画の巻頭シーンみたいな灯台に寄せる黒潮の潮騒である。遠くに水平線がかすかに丸く見えるのである。【と思って撮っておいたら、東映はTOPシーンをここで撮影したという説も有力なようだ。】
 ふと思うのは岬を訪ねる旅も悪くないなと云うことである。一畑電鉄・日御碕、三陸鉄道、五能線・深浦等々、地の果てを訪ね歩くというのも佳さそうだ、何より足が達者なうちしかできない。

 犬吠埼には余程のことがなければ多分二度と来ないでしょう。そう思えば露天風呂もあるし地魚も旨いし、ここで潮騒を枕にもう一泊と思わない訳でもない。帰りを待つ人も、急ぎの仕事もないしとも思う。でも、目的も無く一人旅枕を重ねるというのは、さすがに踏み切れないのである。本音の処では昨夜の酒と昨日から今日にかけて歩き続けた疲れが漂白の旅を許さないだけである。
歩いたのは外川駅から外川漁港に出て、さらに海岸沿いを長崎海岸経由犬吠埼灯台までである。現在地とあるところで、この地図を撮っている。

 犬吠埼灯台から手前の海蝕海岸を経て遠く南東方向を望む写真である。湾曲する海岸の先が長崎海岸である。

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