幸運の陰に潜むもの

 昨日の記事で、「神戸震災以後の災害は総て地方都市か過疎集落で発生している。百万都市では発生していない。」と述べた。被災者にしてみれば、何処で災害に遭おうと、遭うたことに変わりはない。でも何処で遭うたかで、その後が決定的に異なるであろうという写真を見た。


 中日新聞(07.07.17、12版、29面)掲載の写真である。写真のキャップションは「寸断」とあり、こう続く。地震で発生した土砂崩れで埋まったJR信越線青海川駅付近の線路とある。画面の手前は日本海である。普段なら景勝地であろう。GoogleMapで確認したら海水浴場や道の駅、国民休養地などが立地するようだ。画面左が日本で一番海に近い駅として有名な青海川駅であろう。(中日新聞写真はiNetに見あたらないし、著作権の規制もあるので、類似写真のリンクを載せておく。)
 【時事通信社配信:現場写真】
 
 崩れた土砂の山に特急列車が突っ込めば大惨事になるだろうに、運良く、本当に運良く災いを免れたと思うのである。地震の前後に青海川駅付近を通過した列車の乗客にすれば、肌が泡立つ思いであろう。そして三年前、所も同じ越後、長岡市の「奇跡の幼児救出」を思い出すのである。
GoogleMap青海川駅はこちらから
 ただ何となく、そうただ何となくそう思うだけであるのだが、我々は試されているのかもしれない。或いはしばらくの猶予を与えられているだけなのかもしれない。東海地震とか東南海地震とか関東直下型地震とか地震予知とかいわれて久しい、神戸震災からも既に十年余が過ぎた。
 でも相も変わらず大都市集中は続いている。大都市の地価は上昇に転じさらに高騰の域に達している。ベイエリアには高層マンションが林立し海風を遮る壁となっている。それら超高層ビルは気づけば過密砂上の楼閣と化しているのではなかろうか。
 短期的、極々短期的、そして局所的、極々局所的な経済論理や経済価値観のみで一極集中を是認し容認し、時に奨励している我々は、今や「天に唾する行為」を日常茶飯事として繰り返しているのではなかろうか。
 数々の超高層ビルは大型地震に対する免疫性がない。免震性を云うのではない、免疫性である。震度6強、震度7弱に十分ビルは耐えるであろう。
でも付近の地中ライフラインが寸断されたら、周囲は無事でも、浄水場が送水管が、変電所が送電線が分断されたら、超高層ビルはその瞬間から廃墟の塔に転じるであろう。水のでないウォシュレットがどれほど惨めなものか、エレベータの止まった40階がどんなに辛いものか想像するまでも無かろう。
 ベイエリア一帯のバベルの塔の廻りは埋立砂地だから「液状化現象」が間違いなく発生する。数十センチの舗装が飴のように波打つのである。
 想像力が無いと云うことは幸せである。いつの日か「東京難民」に転落する自分の姿を鏡に映してみることができない人々は幸せである。少なくともいつ来るとも知れないその日まで幸せである。
 しかし、そのような人々の無知につけ込んで、都市計画用途規制を緩和し、容積規制を緩和し、都市改造という美名のもとでバベルの塔を量産するに荷担した人々の罪は糾弾されなければならない。「荷担した人々」とは規制緩和、東京改造を叫んだ人たちである。代表されるのは小泉前総理、石原現都知事、安倍現総理、経団連、大手ゼネコン、大手不動産関連企業等々であろう。  『少なからぬ鑑定士も荷担したというには、あまりにも脇役過ぎたけれど、でも唯々諾々と流されたことは紛れもないことであろう。』
 このIT化時代に、リスクヘッジもバックアップも考えない。考えていたとしても実効性が乏しいか、容量的に限られているか、即時性に欠ける、そんなヘッジ策しか用意していない日本である。経済効率一辺倒、とはいっても極々短期間の効率一辺倒というギスギスした視点からは決して見えてこないことであろう。
 其処には、「無用の用」とか「アソビ」とか「足を知る」といった、古人が伝えてきた東洋伝統的な哲学がすっぽりと欠落しているのである。
 もう少し実学的に云えば、「一カ所に集中することの危険性と効率性、分散することによる安全性と非効率性」というものを、的確に秤量比較することに優先順位を与える為政者は現れないものかと嘆くのである。
 表現を変えようか。東京は危険なマンモス都市である、ライフラインの距離が長すぎるから、いざと云う時にラインの確保が容易ではない。だから、皇居(京都)、東宮御所(長野)、首相官邸(札幌)は東京から疎開して頂こう。秋篠宮邸はバンコックに近い沖縄など、如何だろうか。地方振興にも役立つし格差是正にも寄与するだろう。分散は多少の非効率を将来するけれど、結果として省エネにもつながるし、様々な無駄を省くにも役立つであろう。
 首都機能移転ではない、諸機能分散配置なのである。分散配置の最大のメリットは外敵の侵攻にも、内部クーデターにも対抗力が増すというものである。最大の安全保障は中枢機能の分散配置なのだということに気づいてほしいものである。全国の46道府県がそれぞれ誘致希望を出したらいかがだろうか。 移転補助金などは付けない、全額地元負担である。移転機能が背負ってくるものと、それこそ秤量比較すればよいのである。名をとるか実をとるか、質をとるか量をとるかということであろうよ。
 とまあ、東京が抱えるリスクについて述べていたら、中越沖地震が東京の脆さを浮き彫りにしてしまった。東京電力の総発電出力7500万KWの一割を超える820万KWを、地震で操業停止に追い込まれた柏崎刈羽原発が発電しているという。猛暑が予想されるこの夏、東京は停電の危機に見舞われそうである。なお東京電力における原発の総発電出力は福島第一第二を合わせると1820万KWである。

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