予想どおりか、以上か

 07年参議院選挙は「与野党交替が起きる最初で最後のチャンスであり、負ければ政界引退」と訴えた民主党小沢代表のみごとな勝利に終わった。それに対して安倍総理の往生際の悪さは、惨めさをさらに増すだけだろうと思える。


 安倍自民党総裁は選挙戦中に「今回の選挙は、日本の総理に私(安倍)がふさわしいか、小沢民主党代表がふさわしいかの選択だ」と訴えていたわけである。その訴えに対して、国民の答えは「小沢さん」であった、これ以上ないほど明確に「小沢さん」であったのである。一人区6勝23敗、比例得票1654万票(民主党得票2325万票の71%)という結果は明々白々に民意の在り処を示しているのである。
 にもかかわらず即座に続投を表明するのである。続投の理由が何ともしまらない。「政治に空白は許されない。」、「様々な改革が途中であり、中途で投げ出すのは無責任」、言葉を失うのである。一議席や二議席ならともかく失った議席数27である。非改選と合わせて与党議席数104/244である。総裁が責任を取らずして誰が責任を取るというのであろうか、にも関わらず「人心一新」なのだそうである。自ら以外を総入れ替えするのを人心一新というのだそうである。 この粘り腰は驚嘆すべきであるが、「美しい国、日本」、「戦後レジュームの一掃」といった安倍氏のキャッチコピーとつながらないのである。
 さらに疑問なのは、改革の方向性や政策は間違っていない、正しく浸透していなかったのが残念だなどという弁明である。就任以来十ヶ月の評価が今回の選挙結果なのであり、正しくは郵政選挙以来二年間の評価がこの結果なのである。国民は小泉改革、安倍(継承)改革の光と陰を正しく認識し始めたのであり、郵政選挙で小泉自公与党に三分の二を与えてしまったことの重大さに気づいて、その修正を行ったと云うことなのであろう。国民は07年通常国会で強行採決を乱発する横暴な自公政権に鉄槌を与える必要を感じたのであろう。小泉遺産の衆議院議席にアグラをかいて安部内閣の信を問うことを先延ばしにした結果がこれなのである。国政選挙の洗礼を受けていない内閣は真の議会制内閣ではなく内閣候補にしか過ぎないのだということに想いを致してほしいのである。
 TVや新聞論調、或いは自民党役員や閣僚は、不透明な政治資金問題、不用意な失言、宙に浮いた年金問題などを敗因に挙げているが、それらも原因の一つではあろうが、最も大きな敗因は格差であろうと思う。
 世界最大の自動車メーカーに成長したトヨタ自動車に後押しされ地価も高騰する東海地方と、進出企業もなく地場産業も衰退し高校生の就職率が50%前後であり続け地価の下げ止まりも見えない一部地方とのあいだの埋めようもない地域間格差の存在。
 もう一つは、階層間格差の存在である。親が低所得・低学歴であるだけでなく、それが子に、孫に継承されてゆくマイナスのスパイラルが存在しているだけでなく、そのスパイラルが拡大し続けているという現実の暗さに皆が気づき始めたのである。
 前にも話題にしたのであるが、幼児期に岸信介総理の膝で遊び、家庭教師(平沢勝栄)付き小中高大一貫教育に遊学した、銀の匙どころかプラチナの匙をくわえて生まれてこの方、挫折も、食べる苦労もしたことのないお方には格差など思いも寄らぬ事であろう。彼は自由競争主義者であるらしいが、自らはハンデイを付けてもらって競争に参加していると云うことに、未だ気づいていないと云うのが、愚かしくも哀れである。
 安倍総裁に、この言葉を贈ろう。
“The Great Gatsby”, F. Scott Fitzgerald:村上春樹訳より 「その冒頭」

 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。
「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」

 さて、我々は余裕をもって見守ろう。壮大な政治的実験が始まるのである。多少の景気後退も、多少のマダルッコサも我慢しよう。年内に解散総選挙が行われたとして民主党中心勢力が衆議院過半数を獲得するとは限らない。自公勢力が過半数を維持しても衆参ねじれ現象は三年間続くのである。ヒョッとすると六年間続くかもしれない。
 05年郵政選挙で衆議院自公勢力に絶対多数を与えたのが与え過ぎであったのであれば、今回参議院民主党中心勢力に安定多数を与えたのも与え過ぎたのかもしれない。小選挙区制度や比例代表制度固有の振幅の大きさがもたらす衆参ネジレ現象はこれからの日本政治の通例となるのかもしれない。とすれば我々国民は性急な結論を得ようとしてはならないのであり、衆参両院議員彼らの大人の対応に期待するしかないし、大人の対応ができない「お坊ちゃん」「お嬢ちゃん」議員殿には退場して頂くしか無いのである。
 安倍君、麻生君、谷垣君、鳩山君、小沢君 ご理解頂けるであろうか。
話変わって、「空気の 読めない 安倍総理」という話がある。
これは間違いである。安倍晋三氏は空気が読めないのではなく、生来、空気など読む必要が無かったのである。安倍晋三氏の空気は廻りが読んでくれるものであり、晋三氏が読む空気など何処にも存在したことが無かったのである。そう理解した途端、この数年間の彼の箸の上げ下げ総てが見えて来るではないか、各々方。
 

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