瀬戸内・島の秋

10/05から10/08にかけて、次男がファーマー見習いを務める島に行ってきました。次男は学生時代から島に係わり、今は島に居住して農業に係わっております。島に移住して二度目の秋を迎えたのを機会に、彼の日常を垣間見たい親心が、島に茫猿の足を運ばせたということです。  『茫猿、瀬戸内フォト紀行・その1』


茫猿が島に居たのは正味30時間くらい(半日+一泊二日)です。後は四国観光をしていました。その件は追々に記事にするとして、先ずは今回の瀬戸内紀行のメインである島についてフォト・ブログを掲載します。
岡山県の宇野港から島に渡るフェリーです。

緑豊かな島を海上より望む景色です。中央の高い山は壇山です。標高339m、山の中腹にはスダジイの森があります。また山麓から湧き出る水は、瀬戸内の島としては例外的に豊かであり、ため池が整備されて島の水田や畑地を潤しています。

フェリーが到着する島の港を海上から望んだ写真です。

島が長年苦しめられ、今も苦しんでいる廃棄物不法投棄事件の現場です。現在は汚水の海上流失を防ぐために堰堤が構築され、堆積投棄物の処理が始まっています。

不法投棄廃棄物の中間処理施設です。投棄現場のすぐ隣接地に設けられています。前の投棄現場写真では画面右隅に見える白い屋根が中間処理施設です。

島から最終処理施設が所在する隣の直島を眺めた写真です。不法に投棄堆積された廃棄物は島で中間処理された後に、隣の直島に立地する「三菱マテリアル株式会社直島製錬所内に整備された焼却・溶融処理施設」にて最終処分されます。

島の港の桟橋付近でみかけた蛸壺です。蛸は島の有力な海産物です。

※島ミニガイド
【面積】14.49平方km      【周囲】19.8km   【標高】壇山340m
【世帯数】508世帯(2005.10.1)   【人口】1,141人(2005.10.1)
瀬戸内海の東部、小豆島の西3.7kmの海上にあり、その面積は東京都目黒区(14.70平方km) に匹敵する広さの島である。 中央部にそびえる壇山が最高点で海岸沿いと丘陵地に6集落がつくられている。特産のやわらかい石を使った石材加工業が盛んで、また農・水産物の供給地としても重要な地位を占めている。わが国福祉界の草分け的存在である賀川氏が力を入れた福祉施設として乳児院、特別養護老人ホーム等があり、「福祉の島」と呼ばれるゆえんとなっている。島南部の礼田崎貝塚は西日本最古(約9500年前)の貝塚である。つまり、約1万年も前から人が居住する島なのである。

島の現住人口は千人を切り実数的には800人台らしい、お定まりのように高齢化が進んでいる。空き家や老齢者単身世帯が多く(老齢化率は40%を越えている)、空き家も目立つ状況にある。でも島は農協貯蓄残高や家屋の品等からすれば豊かなようである。若いときは島を離れていたが、リタイアして今は島で悠々自適という高齢者も少なくないようである。島に居住して職場は岡山・玉野、高松方面という人も多いようである。しかも夫婦揃ってフェリーで職場がよいという家庭も少なくないようだ。 そういう人達は自家用普通車を宇野港や高松港に駐車しておいて通勤・買い物に利用し、島では自転車・バイクか4WD軽トラック利用という訳である。
島にはコンビニがないし、喫茶店もない、ショッピングスーパーもない。交通信号もない。でも、山に近く海に近く緑豊かで空気は最高だし、夜空の星も山の上から眺める瀬戸内海も、朝日も夕日も最高である。島の港にあがる魚は新鮮だし、目の前の畑で採れる野菜は瑞々しい、段々田で穫れる米だって収量は低いが旨いのである。何より気軽に声を掛けてくれる島人の心の温かさが佳いのである。
医療、教育など不便をいえばきりがないが、往復1560円を支払えば玉野市宇野港付近にはSCもHSもレンタルDVD店も喫茶店もある。問題は人生の価値観を何処におくかである。とは云うものの、子弟の教育費や経常的生活費を考えれば、一部の農家と漁家を除いて適当な働き場所が乏しい島に若者が魅力を感じるのは難しいだろう。島暮らしを素晴らしいと云えるのは、リタイア間近な所詮呑気な旅人である茫猿だからこそであろう。島で暮らす若者や壮年者にとっては子供の教育、医療を考えれば、立ちはだかる問題はあまりにも大きいのである。日常的な医療不安におびやかされる日々を過ごす島人からすれば、産婦人科医問題に悩む都会の声など贅沢に聞こえるだろう。
茫猿の次男もつい先頃、生命の危険におびやかされた。統一地方選挙の裏方活動やら日常のファーマー見習いやらに忙殺されて疲れているところに盲腸炎を患い、早めに岡山か玉野の病院に出向き診察を受ければ何でもないのについつい無理を重ねたようだ。ある朝、激痛で起きられず携帯で連絡もできずにいたところ、運良く「日頃は朝早いのに、その日に限って農場に出てこない。」のを心配した農事研修師匠が訪ねてきてくれたのである。そこで、急遽漁船をチャーターして岡山市内の病院に搬送して腹膜炎緊急手術を受けられたのである。搬送途中、船上からの報せを聞いて慌てて駆けつけた茫猿であるが、既に手術が終わり麻酔の覚めるのを待つ状態であった。主治医のお話では、「化膿部分が破れており洗浄したから手術時間がかかりました。」とのことである。後少し遅れていたら生命の危機でしたということである。危うく、この夏に失った弟の前に、二十数年間投資した息子をも無為に失うところだったのです。
119番すれば時にはたらい回しもあるけれど、ピーポ・ピーポと救急車が駆けつけてくれるのは都会のことであり、都市周辺のことなのである。何も島だけに限らないが、離島では、定期船、自家用船、チャーター船以外の緊急手段は無い。日頃の早め早めの予防的措置が全てであり、夜間や荒天時には為す術がないのである。「自衛隊のペルシャ湾ガソリンスタンド活動」も意味があるのかもしれないが、そんな余力があるなら「全国の過疎地・離島の何処でも、自衛隊による一時間以内に救命救急ヘリコプターが飛来できる」といった体制が整えられないものだろうかと思うのである。それこそセイフテイー・ライフ・ライン整備だろうに。

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