またもや唖然である。安部前総理の辞任に較べれば、なにがしかの予感がなかった訳でもないが、それにしても唖然である。「売り家と、唐様で書く、三代目」とか「策士、策に溺れる」とか「お坊ッチャマはしょせんお山の大将」とか思うのである。安部も福田も小沢も鳩山も二代目、三代目なのである。
近頃の風潮は、政治と経済の在り方を混同しているとつくづく思う。経済は用語的には経世済民を源とするが、やはり日々の、月々の、年々の財務諸表にその結果が表れるものである。政治は経済にも大きく関わるものであるが、根源的には国家百年の計的な発想が求められると思う。教育、文化、社会についての哲学的視点が欠かせないし、人生観とか世界観と云ったものに関わる哲学的思想背景の無い政治は無味乾燥というよりも刹那的なものになると考える。
小沢代表らしい辞め方とか責任の取り方という論評が存在するが、大連立騒動という短期的責任についてはともかくとして、数ヶ月前の参議院選挙で国民が小沢民主党に与えた議席数に対する責任は何ら果たしていないと云えるのである。小沢氏が最後のご奉公とか、政治生命を賭けるというのであれば、もう少し真正面からの政治を語ってほしかったと思うと、とても残念である。
こうなれば、解散総選挙が一番正しい選択であろう。その上でならば大連立もよかろう。
しかし、この数日の一部新聞報道は目に余る。中曽根大勲位と渡辺読売大主筆が目論んだ大連立が実現しなかったからといって、私憤・私怨・私情剥き出しの小沢叩き・民主党叩きが過ぎるのである。
そして90年代のはじめ、宮沢自民党総裁候補を面接する小沢竹下派会長代行の姿も思い出すのである。
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