ウェブ時代の実感

 ウェブ時代が実感できるという話である。当の梅田望夫氏もブログで驚きを述べているが、「11月14日、東京丸之内の丸善本店」で梅田氏が行った一時間半の講演のほぼ全てが記事になって公開されている。一昔前なら書籍となって頒布されただろうし、今でも会員制サイトでのみ公開される類のものである。それが、僅か二日後に、ウェブ公開なのである。


 『梅田望夫氏のブログ:My Life Between Silicon Valley and Japan:11/16記事』よりの引用である。

 いまホテルに戻ってびっくり。CNET Japanの永井美智子記者の前編、後編にまたがる長文記事がアップされていました。一時間半(質疑応答も含め)の講演会の内容が、ほとんど僕がしゃべったそのままに文章化されています。 この記事を書くの、大変だったろうなあ。どうもお疲れ様でした。

梅田望夫氏講演:前編
 リアルの世界に生きる人は、ウェブ時代をどう生きたらいいのか     

梅田望夫氏講演:後編
 「たいしたことない自分」だから、本を書いた    

 
 この講演録の面白いところは、講演録の印刷用ページが用意されていることである。 茫猿は、『鄙からの発信』11/12記事で「ウェブリテラシー」を持ち合わせない凡俗はどう考えたらよいのであろうか、と書いたのであるが、この講演はその回答でもある。何よりもモニターで長文を読むことに疲れを感じる者にとっては、「印刷用ページ」を用意する気遣いが嬉しいのである。そしてそれは梅田氏が講演で云う『“Web Revolution for the Rest of Us”(残された自分たちのためのウェブ革命)』にもつながることだと思うと云えば、レベルが低すぎるか。(よくよく確かめたら、このサイトの特集記事にはいずれも印刷用ページが付いている。)
 この講演録をモニター上で読むも良し、印刷して読むも良しであるが、iNetとかWebとかを考えるのであれば、是非とも全文を読まれることを勧めるのである。特に後編後半の質疑応答が面白い。「酷評する池田信夫氏ブログ」への肩透かし的回答も優雅なのである。
 このエントリーをアップしてから、全文印刷を持参して昼食に出たのである。食後のコーヒーを飲みながら改めて読み直してみて、つくづく茫猿はリアル世代-コチラ側世代なのだと思わされた。モニター上では読み落としが多いのである。それは多分、加齢による目の不調も影響しているのであろうけれど。
さて、リアルで読み直して幾つかを書き加える。
1.iNetに溢れる情報にどう対応するかについて梅田氏はかく言う。

 無限の情報と対峙するには、直感に頼るしかない。好きとか、そういう部分を信じる以外に方法がない。無限の情報から気に入った部分を信じて、そこと向き合う。自分を信じて直感を信じて、その直感の精度を高めるしかない。そこが個性になるし、磨かれれば「けものみち」で生きる上で有効な道具になる。   『講演録より』 

 すばらしい話である。iNetには無限大に近く情報が溢れている。しかも玉石混淆だけでなく、真偽取り混ぜて溢れている。どれが玉で、どれが真で、どれが善かなどと選んでいたら、それだけで人生が終わってしまう。といって既成のメデイアやポータルサイトに任せておけば、自らを失いかねない。であれば直感に頼らざるを得ないし、直感を磨くべきなのである。我田引水的に云えば、茫猿が云う「センス、センサー、スピリット」の3Sも同意義なのである。
2.六五歳という年齢が目前に迫り、次の人生を思いあぐねている茫猿には嬉しい示唆でした。

 「時間の使い方の優先順位」を変えるにはまず「やめることを先に決める」ことである。それも自分にとってかなり重要な何かを「やめること」が大切だ。お正月の「今年の抱負」が大抵は実現できないのは「やめること」を決めずに、ただでも忙しい日常に「やること」を足そうとするからである。時間は有限なのだ。精神論だけで新しいことはできない。
 (「ウェブ時代をゆく―いかに働き、いかに学ぶか」143ページ13行目~144ページ1行目)  

 茫猿にしてみれば、やめることを決めなくとも先方から遠ざかってゆくのが今や実態なのではあるけれど、茫猿流に解釈すれば昨日からつながる「あれやこれや」を一端は捨て去ってみると云うことなのだろうと思う。でもこれができそうでできない。だから「今年の抱負」が実現しないのだろうけれど。
3.続けると云うことの大切さについて。

 個性とか強みと呼ばれるものに関しては、自分が思っている以上に世間に優秀な人は多いんです。それだけで競争しても、いつまでたってもコモディティ(普及汎用品)のままで終わる。本当に頭のいい優秀な人が多いから、僕はそういう意味で優越感を持ったことはあまりないです。自分を振り返ると、唯一、丁寧にこつこつやってきたなということだけですね。    『講演録より』 

 Rest of Us にとって唯一手の届く可能性がある『能力』である。持続すること、それとても楽ではないが、倦まず弛まずとまで云わなくてもよかろう。休みながら、時には道草を食いながら、それでも気づいたらもとの道に戻ってまた歩んでゆく、そんな生き方が何かをもたらすと云うのであろう。久野収氏の云う「負けてから始まる」とは趣旨が違いますが、でも氏の云う「どんなに敗北を重ねても負けない自分がここにいる。それが人間の勝利であり、それ以外の勝利を考えるようになると人間の堕落が始まる。」にも少なからず通じることなのではと思うと云えば牽強付会でしょうか。
 江戸時代とまでいわなくとも昭和前期まで、普通の我々は与えられた道、あるいは少ない選択肢のなかから選んだ道を黙々と進むのが当然だった。選択肢は多くはないし乗り換えの機会も多くはなかった。今や情報が溢れ見かけの選択肢も多い時代となればこそ、自らの感性で選んだ道を突き詰めてゆくことが大切と云うのではなかろうか。右顧左眄に時間を費やした挙げ句、徒労感にひたるという結果を得るよりも、先ずは感性を信じてみるということである。でも、こんな利いた風な結論に至ると「オジサン臭さ」を感じて、ナントモハヤという気分が押し寄せてくるのである。
 それにしても、梅田氏の言う「けものみち」は何も「新しい職業」に固有のものでもなかろう。「けものみち」を「我が道」と言い換えれば「古い職業」についても同じことなのではと思うのである。それとも、「けものみち」をゆけば、それはすなわち「古い職業も変じて、新しい職業」なのだろうか。
 これも「ウェブ時代をゆく」であろう。何度も記事を紹介している『不動産と景気・経済』ブログの07/10/23記事に岐阜県士協会のグーグルマップ地価調査要覧紹介記事が掲載されている。好意的な評価を頂いているし、進むべき方向性も示して頂いている。次は「我々のけものみち」を倦まず弛まず進めるだろうかということである。

「鄙からの発信」 10/21エントリーの「Google Map」を開き、『 GOOGLE MAP 版 岐阜県地価公示・地価調査要覧 』を拝見した。とても親切・丁寧・便利である。今後、更なるバージョンアップがなされるだろう。要注目。今後、地図と統計数字のカップリングでエリアマーケティングがより効果的になるはずだ。営業手法などもこれらのクロス分析でより効果的にアプローチできるようになるだろう。

 ところで、なぜこの紹介記事を知ったかと云えば、アクセス解析をしていたところ経由地としてブログ『不動産と景気・経済』記事に行き当たったというわけである。いつのまにやら、「ウェブ上の誰か」・・『不動産と景気・経済』・・『鄙からの発信』・・「岐阜県士協会グーグルマップ地価調査要覧」というリンクができていたということである。
 時を同じくして、まさに時を同じくして、今日(07/11/17)の中日新聞夕刊2面:あの人に迫る:川良浩和氏特集記事に川良氏のこんな言葉が掲載されていた。

 『さまざまな情報が溢れているが、本当にその情報が必要なのか、知りたいのは何が一番大事なのかであり情報量ではない。現代は情報が許容限度を超えていて、社会や人間が壊れているのではないか。「情報の時代」から「心の時代」に変わったと認識しなければいけないと思います。』 

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