仕事の現場を廻った後、気ブセリだから山に向かった。気ブセリのわけは、先号先々号記事のせいである。遠吠えするのもゴマメの歯軋りをするのも疲れたということである。そんな時は山や川と向きあうのに限るのである。
岐阜の金華山にはあまり知られていないが、ドライブウエイがある。岐阜公園付近から登り城のある金華山には行けず、南麓の水道山を巡って岩戸方面に至る道である。建築年次が古く(1963年)幅員が狭いので夜間は閉鎖されており、最近は人気が薄いのである。久し振りにその道を走ってみた。「金華山染まる」に書いたツブラジイを間近で見るためである。
コースの途中より、主峰金華山方向を見る。
山頂には、かすかに城が見えるのである。
山頂付近を拡大してみる。
道路脇に見かけた、まだ花盛りのツブラジイである。
途中の水道山展望台より、西方眼下に岐阜市街を見る。
茫猿の事務所はこの写真中央付近の小さなビル内にある。
山中には、たくさんの桜が植えられている。
その桜が小さな実を付けていた。
四川大地震もミャンマー・サイクロン被害もとても胸痛む出来事である。その哀しみをさらに深くするのは国際援助を受け入れようとしない為政者の姿勢である。中国は日本や韓国、ロシアなどの国際緊急援助隊を受け入れたようであるが、ミャンマーは依然として鎖国状態である。今、読み進めている「ジョージ・オーウエルの1984年」と重ね合わせて、複雑なのである。
今日の中日新聞夕刊に、「広河隆一」氏のインタビュー記事が掲載されている。そのなかでの氏の言葉、「世界の人々には生きる権利がある。その生きる権利を守るために『知る権利が必要となる』、ジャーナリストとは人々の知る権利が背中を押してくれる仕事です。そしてジャーナリストである前に人間である。」
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