旧盆最後の日曜日、ひとけのない日野町では昼食もままならずバスもつかまらず、日野の町なかから日野駅まで3キロ強を歩いた堂守は、旅程の最後を高宮駅から分岐して多賀大社駅に向かいました。
多賀大社と云うよりは「お多賀さん」の名前で親しまれている多賀神社はイザナギ、イザナミの二神を祭るお社であり、いわば伊勢神宮の祭神天照大神の二親をお祭りする祖霊のお宮です。 素通りはまかりなるまいと思い参拝に向かったものの、高宮駅から二駅のミニ支線を乗客独りで多賀大社前駅に着いたのはもう五時近く、参道にひとけ無く、門前のお店も殆ど閉まっていました。 ところが、多賀大社駅から神社に向かう参道は「絵馬通り」と名付けられて、様々な絵馬看板が掲げられてあり、ひとけが無くお店も閉まっていたからこそ、その一つ一つをゆっくりと見ることができたのは幸いなことでした。
参道の殆ど全ての軒先に掲げられている注連縄は「笑門来福」の絵馬でした。
絵馬看板その一です。朽ち木を使っているのか朽ちたせいかは判らないが、風情のある絵馬看板である。
絵馬看板その二です。干支を題材にした絵馬だが、人ごとながら毎年々々干支の置物を替えるのも大変だろうなと思わされる。
絵馬看板その三です。雨よけのビニールが被せてあるが提灯である。茅葺き屋根と併せて、これも門前町らしい風情なのである。
絵馬看板その四です。 いわれは判らないが、何とも愛嬌のある人形が並んでいる。こうしてみると町興しの材料は限りなくあると云える。何かのテーマ、何処にでもあるものでなく、ユニークでオリジナルなテーマを町全体が共有することによって、町並みに統一性や主張が表現されてくるし、それはその後の様々な催しにもつながってゆくのであろう。
多賀大社駅前にある「叶 ♥ 多賀門」です。説明書きには絵馬を持ってくぐると御利益があると書いてありました。今さら「♥」には無縁の堂守は、写真に撮るだけのことです。
門前町でも見かけることの少なくなった紅殻(ベンガラ)塗りの民家です。手前に見えるのは絵馬通りの石灯籠です。
修復造営されて間がないと見え、拝殿は夕陽に輝いていました。
恒例の多賀大社門前町の蓋です。
コンビニ弁当を嫌ったせいで昼食にありつけず、米原井筒屋の名物弁当「湖国ばなし」にもありつけず、必然的にビールも無し。クッキーとお茶だけで飢えをしのいだ半日でしたが、それはそれで楽しい気儘なローカル鉄道の旅でした。近江鉄道の客となったのは実は初めてではなく、もう25年も前の暮れの一日子供達と乗った記録がアルバムにありました。写真はこれ一枚しか残っていないし、何処をどう廻ったのかも記憶にないけれど写真に残る車輌は紛れもなく近江鉄道、多分八日市駅に停車する近江八幡行き最古参?の500系車輌です。
フリー切符の代金が550円、米原・貴生川間を往復したし、途中下車が三度あるし、お多賀さんにも往復したから、正規運賃を計算すると、米原・貴生川間片道が970円、高宮・多賀大社前間でも160円になる。ほぼ三千円近くは乗ったから、随分と安近短な行楽だったものである。
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