自己嫌悪に陥っている。 今日は地元士協会の年次総会が行われた。 総会の欠席も考えたのだが、日頃汗をかいている執行部への礼儀としても出席するべきであろうと考えて出席したのである。 提案されている議案にさしたる疑義も批判もないことから、ひたすら沈黙を守るつもりであったのだが。はてさて!!
議案説明の後、質疑に移ったのだが、茫猿は沈黙を守っていたというより居眠りをしていた。 しかるになんということか、茫猿の名前などを交えて質疑が推移するのである。それでも沈黙を守っていたのだが、議長から発言を促されマイクが回ってきたのである。 マイクが手元に来ようと誰に煽られようと黙しておればよいのに、生来粗忽で一言多い性格は直らないのである。
ついつい、戦略と戦術論とか、ロードマップとか、巧遅は拙速に如かずなどと一席ぶってしまったのだ。 止せばよいのにと、今は自己嫌悪に陥っているのである。 沈黙が金とは思わない、言うべきは言うべきであるという考えに変化はない。 でも言わないと決めたら、なぜそれを守り通せなかったかと、いささか悔やんでいる。 つくづく、生来の出しゃばり一言居士癖は、焼かねば直らないものよと、今更に忸怩たる思いで嫌悪するのである。
小言幸兵衛とか横町の辛口隠居などと粋がっているから、直るものも直らないのだろうか。
嗚呼なのだ。
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雀100まで踊り忘れず…ということで(笑)。
ウーン! その表現もございましたか!
三つ子の魂、百までとも申しますようで!
生来、せっかちな性格である。時に、何故この程度のことが判らないのかと苛立つことも多い。 隠者であることを願いながら自らそれに反する、最近はそんな事柄が増したようにも思われる。華麗者であれば、緑壽であればこそ余裕をとか悠揚をとか思うのであるが、どうやら様々考え合わせれば己の至らなさに加えて、自らに残された時間の乏しさ短さを、何処かに意識しているようでもある。
NSDI-PTにしても、此処まで来れば後は次走者に委ねればよいではないかと、思わない訳でもない。 三月末で手を離すという選択肢もあるのだし、やるだけはやったのだという思いもある。 新しき酒は新しき革袋にとも云うし、水辺を示すことはできても水を飲ませることはできないのだし、己の限界を知るべしと思う「井の中の蛙、今日この頃」である。