1Q84と1984と2010

 日本チームは昨夜の試合で先制ゴールを守りきってウズベキスタンに快勝して2010ワールドカップ出場を決めました。 おめでとう岡田ジャパン。 歓びに水を差す気はないが、この試合ウズベキスタン側から見てみれば、キーパーがセーブしたコボレ球に岡田が頭を投げ出して与えた不運な失点であり【日本側からいえば見事なダイビングヘッド】、【強烈なシュートを楢崎がパンチングで見事にセーブした】けれどセーブしきれなかった球がクロスバーにはじかれたという不運なシュートだったと言うのでしょう。 なにはともあれ、残り二試合も快勝してワールドカップ2010・ベストフォーを目指してほしいと思います。
 さて標題は本の話です。1Q84(村上春樹著)は「イチキューハチヨン」と読むのです。 1984です。 まだ読んでいないから判りませんが「ジョージ・オウエルの1984年」とつながるのでしょう。 出版不況、小説売れ行き不振が囁かれるなかで発売後一週間で既に96万部を売り切ってしまい、重版が間に合わず書店店頭では品切れになっているという。 海辺のカフカ以来7年ぶりだということやイスラエル賞での授賞スピーチの評判などが影響しているのでしょう。 そのうちに書店で求めようと思っていましたが書店にないのであれば通販でと申し込んだのですが、発送予定は早くて06/26、遅ければ07/07だそうです。


 そこで今読んでいる、あるいは最近読み終えた幾つかの本の話題です。 その前に「ジョージ・オウエルの1984年」について少しだけ。 ”1984年”は大戦後間もない1947年に出版された当時の近未来小説です。 ヒットラー・ファシズムやスターリン・コミュニズムへのアンチテーゼ小説と云えましょうが、それだけではない。 現代の進化するインターネットや過度に商業化したマスコミ、或いは中国天安門事件や北朝鮮金王朝後継、さらには正規雇用と非正規雇用の二極分化が進む日本にも、多くのモノを暗示させてくれる小説だと思います。
 しばらく前に”不知足”と題する写真を掲載しました。 玄侑宗久著・禅的生活を読むまで、堂守は知足とは「吾唯足知」、有名なのは竜安寺の蹲踞(ツクバイ)で口をなかに上に五、右に隹、下に疋(変換できないので当て字、一画の横一無し)、左に矢を配した意匠ですが、類似品があちこちにあります。 この吾唯足知とは、「過剰な欲望を捨て、今を充足する」そんな風に理解していました。
         
 しかし、玄侑和尚によれば、「我が身の現状を”完全に”肯定するという大事業のこと」と云う。 和尚の務める福聚寺にいるナムという名の犬とタマという名の猫は、濃い自意識もなく現状を肯定しているかにみえる。 ではナムとタマは知足を知っているのだろうか、日々ゆらぐ和尚自らはナムにも及ばないのかと語る。
 玄侑和尚はまた別の章で「心の自由を求める禅と志」について、「鹿威し(シシオドシ)の音がカランと響いた直後に初めて「静けさ」を意識するように、人は不自由な制約のなかでの変化に、初めて自由を感じるのだと思う」という。
 さらには風流に活きよともいう。 何も歌舞音曲に生きろと云うのではない、それは風が流れるがごとくであり、不風流処也風流なのであり、「ネバナラヌ」ではないのである。 一応は読み終わった書であるが、しばらくして読み返してみたい書でもある。
 ところで白川漢字学によれば、口とは身体の口ではなく「サイ」という入れもののことであると云う。それも祝詞や呪文のような言霊の宿るものを入れて神に捧げる入れ物だと説く。 だから知るという字は、邪悪を払う矢と神に捧げる入れ物(サイ)から成る文字であると云う。
 知る、知らないなどという次元の文字ではない。
 つづいて06年5月に56歳の若さで亡くなった米原万里著:愛の法則です。 彼女の死後に刊行されたこの書は、彼女が高校などで行った講演集です。 すでに死に至る病を自覚していた05年6月に金沢の高校で行った「愛の法則」と題する講演は、とても示唆に富んでいますが、それもさることながら彼女の造語力に驚かされます。《「フル」ジョワジーと「フラレ」タリアート》、《メスは量を担いながら質を追求する、オスは量を追求しながら質を担う》などは秀逸です。
 また第二章では国際的と国際化について語り、国際化とは、「我が身の文明・文化を国際的(インターナショナル)に伝播させること」を云うのであり、「我が身が他国の文明・文化に同化すること」ではないと説く。 国際化の訳語グローバリゼーションとは、自分たち(英米または欧米)の標準で世界を覆い尽くそうという意味であり、日本が進んで欧米標準を受け入れ国際化しようという意味ではないという。 小泉・竹中他多くの云うグローバリぜーションとかグローバリズムというものの真実が欧米追随にあると喝破するものであろう。
 堂守が最初に米原さんを知ったのは、某ラジオの書評コメンテーターとしてですが、さらに彼女の著書を幾つか読むにつれ、彼女の軽妙洒脱、自由応変、それにウイットに富んだ下ネタ話にとても惹かれました。 何よりも一つに囚われていない国際人としてのモノの見方、考え方、深い洞察力、人物眼、世界観、これからまだまだ活躍できる惜しい方を亡くしたと今も思っています。
 続いて、まだ読み始めたばかりですが、この先面白そうなのが、
 福岡伸一著:動的平衡 (木楽舎)
 蔵本由紀著:非線形科学 (集英社)
 高安 秀樹著:経済物理学の発見 (光文社新書)
 木村 敏著:時間と自己 (中公新書)
 松岡正剛著 (平凡社新書・白川静・漢字の世界観) 半ば読了
 白川 静著:漢字百話 (中公新書) 半ば読了
 部屋から眺めた今朝の木漏れ陽が美しいので撮りました。 何度もこのサイトに登場している鄙桜を部屋の窓から眺めるとこうなります。
  

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