晩夏は初秋

旧盆過ぎの今の季節は晩夏と初秋が重なり合う時期である。夏を惜しむ目でみれば晩夏であり、秋を待つ想いからすれば初秋なのである。
浜茶屋も仕舞支度を始め人影がまばらになった午後の海辺、誰かが片方だけ忘れていったビーチサンダルが寄せては返す波に弄ばれているのを見るともなく眺めながら、突然に終わりを告げられた一夏の恋を懐かしむ、そんな晩夏です。 ふと見上げると高台のテラスでは白いカーテンが涼風に揺れていて、この夏に始まった恋が実ってゆく秋の予感にひたって寄り添う二人がいる、そんな初秋の湘南海岸です。


そんなメルヘンに無縁な茫猿は、昨日、標高千mの郡上ひるがの高原と飛騨高山荘川高原を訪ねてきました。 郡上八幡と高山の街は晩夏の装い、千m高原は初秋の装いでした。 三十年も前なら二泊三日コースですが、東海北陸道や中部縦貫道のせいで日帰り日程やむなしということで、疲れるのやら楽になったのやら判らないというのが茫猿の想いです。
旧盆三日間の徹夜踊りは終わりましたが、まだ踊り納めには間がある郡上白鳥の町には、一夏の雨露で少し色褪せた切り子灯籠が風に揺れていました。

長良川鉄道・郡上白鳥駅前の踊り手像ですが、彼女の顔立ちが好きで機会があれば会いに行きます。

高山市内、グリーンホテル近くの飛騨中華そば「J」は、新装店舗が旧店の隣に開店していました。有名ホテル傍という立地の良さから、前から観光客も多かったのですが、昼を随分と過ぎたというのに、昨日も数人の列ができていました。 旧店は工場になり、広くなった新店舗に加え通販なども拡大している状況にいささかの不安を覚えながらいただいた高山ラーメンは、ヤハリナ、ヤムヲエナイナというお味でした。 絣を着て汗を流しながらスープを仕込んでいたのは昔物語となったのだと、これも晩夏の想いでしょうか。
高山からの帰り道、ふと蕎麦の花が見たくなり、ついでに口直しも思い立って荘川ICで高速道を降りて、蕎麦の里荘川を訪ねてみました。 高速を降りてから国道158号を白川郷方面に向かいますと、五連水車がランドマークになっている蕎麦の里が左手に見えてきます。 直径13mもある巨大水車は背景の山や足許の蕎麦の花に映えて、蕎麦の実を挽く優しい臼の音をゴトン、ゴットンと響かせています。 五連水車の水しぶきが晩夏なら、新蕎麦の薫りは初秋の山里風物です。

五連水車のほとりの「心打亭」は、生憎と定休日、でも案内看板を見ますと、「荘川そばの里・手打ちそばの店」五軒が紹介されていました。 いずれも荘川ICから国道158号牧戸交差点までのあいだに並んでいます。 何処に立ち寄るか迷いましたが、岐阜へ帰る道すがらということならば、牧戸の「蕎麦正」かなと決めたのです。 (蕎麦の里荘川MAP)

茫猿好みからいえば、やや固茹でかなと思いましたものの、ソバ、ツユ、薬味(オロシ山葵、辛み大根、赤穂塩)、店のシツラエ、いずれも水準点以上です。 帰りがけに、たまたま出会ったオーナーと立ち話をしましたが、彼曰く、「五軒の店が競い合っていますから、それぞれの味で気張っています。 五軒の食べ比べラリーをするお客さんも見えます。 何より、せっかくお越し頂いても定休日だと申し訳ないけれど、各店が休みをずらしていますから、お客様を裏切りません。」とのことでした。 味とシツライと景色にお礼を申し上げたら、握手を戴きました。 蕎麦を打つ手の握手は柔らかくとても力強いものでした。
蕎麦正は、国道158号と荘川のあいだに建てられていますから、見下ろす川の眺めも味わいのうちです。 白と緑のグラデーションに見えるのは花咲く蕎麦畑です。 夏新蕎麦限定三十食は当然のこと無理でしたから、秋がもう少し深まったら、手打ち新蕎麦ラリーを楽しみ、そのあとは氷見の鮨というツアーも悪くないなと思えた来る秋の気配でした。

初秋と云えば定番、ススキです。荘川のいたるところで穂を出していました。

荘川蕎麦の里は、村おこし事業です。蕎麦転作農家と、蕎麦打ち店と、行政と、楽しみに訪れる客との協同作業があって成り立つ村おこし事業です。 蕎麦畑が増えて花を楽しみ、蕎麦打ち店が増えて競い合い、客の楽しみも倍加する、そんな発展が期待されます。 飛騨観光のなかで、ともすれば世界遺産・白川郷や小京都・高山や起こし太鼓・古川、さらに乗鞍岳(旧丹生川村)、穂高平湯温泉(旧上宝村)に埋没しかねない旧荘川村が、我が道を見つけつつあるのを嬉しく思えた初秋でした。 旧高根村、朝日村、宮川村、河合村も頑張れと思います。
そば花や  夏を惜しみつ  秋きたる  (茫猿)
そば花に  ゆく夏惜しみ  秋きたる  (茫猿は決めかねています)
軽妙洒脱な描画がとても好ましいHayakar氏が紹介するYoutubeである。 Hayakar氏は「ナット・キング・コールの音源がここまでクリアになる時代なんだ。」というが、まことに実にクリアである。だから、引用とともに紹介させて頂きます。若い頃さんざ聞いていたナット・キング・コールのアナログレコードには針音や当時の録音技術に帰因する小さなノイズがあったものだが、この音源にはそれらが全くない。デジタル技術の進化は恐るべしである。それにこのようなリンクの拡がりが可能なYoutubeという存在にも驚嘆させられる。 それはさておき、Nat King Cole の Stardust は今の季節の夜長にとても佳く似合う。

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カテゴリー: 只管打座の日々, 濃尾点描 タグ: , パーマリンク

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