第五期の茫猿鉄道建設に着手して2年半が過ぎました。 その後建設場所を四畳半から二方に廊下のある六畳に移動して、建設面積を拡大してからも二ヶ月以上が経過しました。 興味のない方には全く意味がない記事ですが、そこはそれマイペース・唯我独尊の『鄙からの発信』です。 自慢げに記事にしているとお受け取り頂いて構いませんが、普通の男児ならば幼いときに力強く汽笛を鳴らす蒸気機関車の運転士に憧れたものです。 少し年代が下がれば電気機関車やブルートレインに憧れ、最近の憧憬は新幹線N700系でしょう。
このごろではプラレールやトミカや機関車トーマスなど多くの鉄道玩具がオモチャ屋さんに溢れていますし、Nゲージ模型にしても最小基本キットであれば、子供のお年玉で手が届く範囲です。 我が息子達も幼児の頃はプラレールで遊んでいました。 幼い頃の茫猿はといえば、メルクリンこそ当時から存在していたようですが、とても購入を願える金額ではありませんし、第一、鄙の悪ガキには知る術すらありませんでした。 長いこと、およそ二十数年忘れていた鉄道模型の夢を思い出して始めたのが三十余年も前のことです。
そんな幼児期や年少期の叶えられなかった夢を、緑寿を迎えてささやかながら実現させようとしている。ただ、それだけのことです。 しばらく前に長男が、鉄道建設は実景も仮想景も(ジオラマ)、ものを云うのは土地と資金と言いましたが、六畳間(実質9.5畳)をジオラマの部屋に充てることができるのも「鄙なれば」こそと「田舎暮らし」に改めて感謝している今日この頃です。
さて、約30年前に長男がプラレールで遊んでいた頃です。 いまやセピア色の彼方にある記憶です。
子供達のプラレールに触発されて建設した「第一期の茫猿鉄道(1979年)」です。
続いて翌年は規模を拡大して造り直しましたが、部屋の広さが四畳半という制約は如何ともし難いものでした。それでもこの写真の息子の左手前には冬山が造成されてあり、トンネルも設けてありました。 この第二期のジオラマはその後しばらくして、写真に写っている長男に完璧に破壊されてしまいました。 数日、出張しているあいだに、ポイントと線路は涎や菓子屑で汚され、モーターやポインターは焼き付き、動力車輌のパンタグラフはむしりとられるという有り様で、大災害襲来の悲嘆に日々泣き暮れたものです。 狭い部屋だから撮影場所がありませんので、この写真は窓の外から撮しています。
それからしばらくは、細々と修復したりマイナーチェンジしたりして続けていましたが、その後十年以上はジオラマ製作から遠離り、いつの間にやら車輌も線路も錆び付いていました。 だから次男にはジオラマで遊んで貰ったという思い出は全く無いようで、今から思えば気の毒なことをしました。 いいえ遠離ったのは息子達へのウラミツラミからではなく、ただ仕事が忙しくなったというだけのことですが。 それが2003年のこと、長男が就職してアパートで小さなジオラマ造りを始めたと聞き、忽然と古い記憶が蘇ってきて、新たな挑戦をはじめたのです。 この写真は、線路を敷設しただけの建設当初の第三期ジオラマの写真です。 このジオラマは以前と同じ四畳半で建設しています。
それを六畳間に移動して、建設しながら拡大していった頃です。
やはり、設計企画が必要と考えて書いたイメージスケッチです。 当時、パソコンのゲームに鉄道模型敷設プランゲームがありました。 線路敷設後の画面上に車輌(長方形のアイコン)が走るというものでしたが、今は残していません。 残っていてもOSも異なっているから起動はしないでしょうが。
第四期ジオラマの建設半ばの頃の全景写真です。 中央に見える茶色い資材の山は高架橋脚です。
ほぼ完成に近づいた頃の第四期茫猿鉄道です。 左手上に転車台と扇形機関庫、右手下に高架駅と駅前広場が見えます。
このジオラマの目玉、機関車が近づくと扉が開閉する扇形機関庫とリモートコントロールできる転車台付近の状況です。 今から見れば細部の作り込みに荒さが目立つものでした。
同じく、転車台をアングルを変えて撮しています。 この第四期ジオラマは2004年に完成した後、しばらくはマイナーチェンジを繰り返していましたが、転車台が動かなくなったり、複雑すぎて渡るポイントや急カーブに急勾配が多いので、事故や故障が多かったので2005年には全部取り壊してしまい、後々利用できそうな資材や運転可能な車輌だけを保存していたのです。 六畳間を他の用途に使用しなければならないという消極的な理由もありました。
そして、それらの保存資材を活用し、新な資材を購入して始めた、現在建設中の第五期茫猿鉄道建設企画イメージ図です。
建設に着手した2007/07頃の第五期茫猿鉄道はまだ四畳半にいましたが、手狭さに音を上げて六畳間に移設し、この企画図を作って本格的に建設を始めたのはこの九月末のことです。 その後に写真よりさらに拡張して、現在はほぼ企画書どおりのサイズ(1200mmX2800mm)で夜なべ仕事を続けています。 今の見込では09年度末にはある程度は見られるようになるだろうと予想していますが、何処まで進められることやら。
六割がた工事が進んだジオラマ右手、道路は工事未了です。 これから舗装やガードレールの細部工事を進めます。画面中央上部で、工事資材の置き忘れに原因する列車事故が発生しています。
鄙里の穏やかな情景が見えましょうか。
まだ、線路を敷設しただけ、上部路盤工事中のジオラマ左手です。 ジオラマ造りは実景と異なって、線路敷設後に、山や川、宅地地盤の工事を行い、樹木の植栽、家屋の建築を終えた後に、それらのウエザリング(汚し)を行います。 実景とは順序が全く逆になりますし、ただ作っただけでは実景感が出ませんから、ウエザリング(汚し)という風雨にさらされた感じを出す作業が一番大切なのです。
先行きは山寺の情景が描ければと考えています。
トンネル付近です。これから山の造成や植栽などの作り込みを行います。
高架駅前付近です。街路工事や駅前広場工事が未了です。
来年からは、時間だけはたっぷりとある日々が待っているでしょうから、慌てないでじっくりと細部を作り込んでゆきたいと考えています。 例えば10cm四方の工事に一週間をかけるような工事進行をしたいと思っています。 とかく、せっかちな茫猿ですから、丁寧なジオラマ造りが一つの人生修行と考えていると云えば大袈裟に過ぎましょうか。 でも完成のない工事、終わりのない工事がこれからの茫猿の只管打座です。
【追記】
先頭車両にカメラを搭載した、ジオラマ・カメラシステムですが、先日、資材を購入に訪れた模型店で見かけましたので、思わずカード決済で衝動買いしてしまいました。 今は地価調査報酬の振り込みがカード決済日までに行われるだろうかと不安な毎日を過ごしている茫猿です。
資材購入と言えば、この頃は暇があればDIY店に入り浸って、何か利用できる小物資材はなかろうかと鵜の目鷹の目の日々です。 バルサ材、薄ベニヤ板、コルク材、塗料、小物金具、細密工具などなど、ゆっくりと探していると思わぬ掘り出し物に出会えるのです。 先日も女性の化粧道具で小筆や毛抜きなどを買ったばかりです。 なにやら、その手の趣味があるように見えたのではと、少し気恥ずかしかったのですけれど、建設工事での使い勝手はとても良さそうです。
次男から確かに記憶に残っているというE.mailをもらって思い出しました。 第二期茫猿鉄道はしばらくして解体しましたが、その後1985年頃に納屋の二階で、次男用に1500mmX90mmくらいの基本線路からなる小さなキットを作成して、次男専用に与えたようにかすかに記憶します。 当然に総ての部品と車輌は見る影もなくなったはずで、しばらくして廃棄処分したのだろうと思います。 だから当時を伝えるものは二、三枚の写真のみです。
【091206追記】
時は巡って091206、亡弟の孫・OHOGAにX`masプレゼントを届けました。彼の親の希望もあって懐かしのプラレールです。 Ohogaは気に入ってくれたようで、さっそく独り遊びの世界に入っていました。 機関車を手押しで運ぶのがお気に入りで、当分のあいだ電池は不要のようです。
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>だから次男にはジオラマで遊んで貰ったという思い出は全く無いようで、今から思えば気の毒なことをしました。
いえいえ、ちゃんと遊んで頂きました(笑)。いつ頃か忘れましたが、一度、私専用の鉄道模型を作ってもらいました。写真は残ってないでしょうが、新聞紙を利用した紙粘土で山を作ってもらったときは感動した記憶があります。